読書 下川耿史著「日本残酷写真史」

2006年作品社刊行

「人間の残虐趣味を満足させるのは、
戦争と芸術だけである」と、江戸川乱歩
は語っている。写真は、その誕生とともに
人間の秘めたる欲望である“残酷”を
満足させるために使われてきた。
日本に写真技術が伝わった江戸末期以降、
写真は、日本人の“残酷さ”を写し出してきた
のである。本書は、江戸時代の「はりつけ」
「獄門」(さらし首)などの残虐な刑罰の写真
から、維新・戊辰戦争における切腹・斬首、
関東大震災での遺体の山や虐殺された朝鮮人
肉弾戦と化した日清・日露での大量戦死者、
災害や猟奇犯罪の無残な被害者、
そして日中・太平洋戦争での日本軍による残虐行為、
東京大空襲や広島・長崎の黒コゲの死者など、
秘蔵の残酷写真170枚を収録した、
初めての「日本残酷写真史」である。
(本書紹介文より抜粋)

このような分野の歴史に注目し、書籍化したというのは
画期的なことだとは思うが、今は江戸川乱歩が存命した
昭和ではなく21世紀のネット社会であり、スナッフフィルムは
果たして存在するのかというのは今更議論されることもない。
何故ならば、今はネットで本書よりも鮮明で残酷な画像や映像が
見ることが可能になった時代だからである。
この日本、あるいは世界では死はまるで猥褻なもののように
隠蔽され続けているが、どんな人間でも死を回避することが
出来ない。それは生物の宿命である。隠蔽しようがしまいが、
いずれにしろ、早かれ遅かれ、人間は死ぬのである。
人はそんな隠蔽され続けている死を、いずれこの自分にも確実に
起こるのだと自覚した瞬間から生を大切にし生きようと思い始める。