おわかり頂けたであろうか・・・『心霊写真~日本人の独自性と繊細さ』Ⅰ

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陽気も暖かくなり、夏も近づいてきたので、
今回は、心霊写真を例にとり、
日本人とは何か?を考えてみたい。
私は昔から幽霊だの心霊写真だのが好きだった。
「あなたの知らない世界」は大好きだったし、
「写真集恐怖の心霊写真」は小学生ながらもよく買っていた。
考えてみると、これほど日本人らしいものはないと思う。
毎年夏になれば、その類の番組がよくやっている。
日本の恒例行事である。
しかし、外国ではどうか?
聞いた事が無い。
外国には幽霊の話は勿論あるが、日本では全く異なっている。
心霊写真も有るにはあるが、日本人から見れば、
日本の心霊写真よりは怖くない。
外国では幽霊の季節は日本の様に
特別にきっちりと限定されていないようにも思える。
小学生の頃に読んだ、(ありがちな)幽霊の本の記述によれば、
「欧米の幽霊の季節は冬?であり、雷雨の時に出現する・・・」云々と
読んだ記憶があるが、随分昔のことなので、確かではない。
おぼろげにそんな記憶がある。
だから、欧米の幽霊は雷雨の時に出るのかな・・・とも思う。
外国の幽霊は、日本の幽霊と違い、饒舌である、陽気にも思える。
それほど日本の幽霊、或いは、幽霊観というものは、
陰湿で、寡黙である。何も言わず、ただ、そこに居るだけである。
外国にもいくつかの心霊写真が存在するが、日本の様に多種多様ではなく、
(まるで日本と外国のマンガやアニメとの比較と同様に)
外国のものは単純である。
ミステリーサークルと呼ばれる現象が、最初は単純な円形のみだったが、
時を経るごとに、図形が巧みに複雑化していったと同様に、
日本の心霊写真も巧みになっていった様に思う。
捏造であれ、デッチアゲであれ、(或いは勘違いであれ錯誤でしかないにしても)
そこには進歩があり、日本人独特の創意工夫があり、
もっと怖く、不気味しようとする明確な意思が感じられる。
外国では、日本までには、注意も払われず、気にも留めない存在であるので、
そこまで進歩する必要もなかったと思われる。
しかし、日本では心霊写真は格好の話題となり、TVにも取り上げられ、
金を稼ぐ手段、道具、話題ともなると(ただの写真では話題にはならないので)
巧妙に、もっと怖く、もっと不気味なものへと進化していったように思う。

日本の幽霊の原型は、円山応挙の幽霊画と言われている。
あれこそ、日本の幽霊のステレオタイプである。
しかし、外国では、映画「シックス・センス」で描かれた様に、
実体化しており、人間とは変わらない。
日本人にとって、それは違和感を覚え、怖さが半減する。
例と挙げれば、YOUTUBEで話題になった
「Acidente em Sintra(通称ポルトガルの幽霊」と呼ばれるビデオである。
日本人の評価は散々であった。
誰も怖がらなかったばかりか、酷評ばかりで、
(男は)あの幽霊と言われる娘を美人だと評価し、絶賛した。
(勿論、私も彼女は美人と評価する)
まあ、あの程度出来ならば、幽霊文化大国の日本では、
誰でも怖いとは思わないだろう。
日本は、それほどまでに諸外国よりも、
心霊写真や心霊動画を見慣れている為に、
ちょっとはそっとの事では怖がらない。
(その町では一軒しかないラーメン屋ならば、例え、味は不味かろうとも
高かろうとも、そこそこにお客は入るかも知れない)

それに加え、諸外国では見られない、奇妙な写真が
日本では多数紹介される。
もし諸外国で、偶然にそんな写真が撮られたと仮定しても、
外国では、ただの偶然や物質的な原因であるとし、
話題にならないだけかもしれない。
人の指が異常に長かったり、その場所にいるはずの無い人間が
写っていたり、色んな写真が日本では知られている。
しかし、外国では見たことも聞いたこともない。
外国人に虫の音色を聞かせても、ただの雑音としか
感じないと同様に、もし、そんな写真が外国で撮影されても、
外国人には、ただの偶然として片付けられてしまうからも知れない。
そこに日本人と外国人との明確な差を感じる。
日本人特有の繊細さを強く感じる。

幽霊などを怖がるのは、余裕があるからだと言える。
もし不治の病に冒され、余命数ヶ月と宣言されれば、
そんなのは消し飛んでしまう。
また破産宣告を受け、自殺さえも考える人間には、
そんなものはどうでもいい話だろう。
幽霊を怖がるのは、今現在は怖がるだけの余裕が有る証拠である。