民族浄化  映画『セイヴィア』

イメージ 1

イメージ 2

1998年アメリカ制作。原題 Savior(救済者)
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を題材に
戦争の悲惨さと人間の絆を描く問題作。
監督はユーゴスラビア出身のピーター・アントニエヴィッチ。
監督は何が起きているのかを知って欲しくて、
この映画を作ったそうである。
ラストシーンの衝撃的であったし、また子守唄が悲しい。
なんて悲しく美しい旋律の歌声なんだろう。

Savior - movie with Dennis Quaid and Natasa Ninkovic
http://www.youtube.com/watch?v=yYw1jBWIDr0&feature=related)


マケドニアの子守唄
Uspavanka - lullaby
Nunaj ni na ne na, nunaj ni na ne na o...j
Zaspi mi zaspi detence,
zaspi mi cedo mamino.
Nunaj ni na ne na, nunaj ni na ne na o...j
Zaspi mi zaspi detence,
zaspi mi cedo mamino.
Nek raste ruza rumena
nek raste nani od mena.

「母の愛は尽きることなく、永遠にお前を包むだろう。
           
今までにも何度かTVで放映されているので、見た人も多いだろう。
処刑の方法が木槌での撲殺だなんて・・・。
これほど嫌な死に方はないだろう。
日本では憲法第九条の論議が正に机上で行われているが、
殺す気満々の悪意を持った敵に対し、話し合いが
通じるとでも思っている、寝ぼけた輩もいるようだ。
(これも言わば大人の事情なんだろう)
しかし話し合いで何事も物事が解決するなら、
民族浄化も戦争もはじめから起きない。
(謝って済むなら警察も裁判所もいらないと同様の理屈)
日本国内なら、話し合いで済むこともあるにはあるだろうが、
他民族、他国での紛争では、それは通用しない。
それが通用するなら、今まで戦争も紛争も一切起きていないはず。
悪意を持ち、また銃や核などの武力の前では、
話し合いなんて、何も役に立たない。
外国には浪花節は通用しない。
遺憾遺憾と連呼したところで、他国は痛くも痒くもないどころが、
嘲笑される材料をまた一つ作るだけのこと。
いくらこっちが戦争放棄をうたっていても
向こうはこっちの事情や法律や歴史なんてお構いなしに、
遠慮無く、サンドバックの様に一方的に叩くだけのこと。
ますます舐めて、つけあがるだけのこと。
(この映画のラストシーンと同じように、一方的にやられるだけ)

以前、このような事件があった。
2003年3月国際連帯運動のボランティアで、
23歳のアメリカ人女性レイチェル・コリーがガザ地区
イスラエル軍のブルトーザに轢かれて死んだ。
イスラエル軍は継続的に、パレスチナの人々の家を
ブルドーザーで壊しており、その抗議活動の一環として、
彼女は、言わば人間の盾となり、
イスラエル軍のブルトーザの前に立ちふさがった。
ブルトーザーは彼女の前で停止することなく、
そのまま彼女の上の乗り上げ、結果、彼女は死んだ。
アメリカや日本ならば、人命尊重で、停止する可能性
は無くはないかも知れない。
しかし、それはイスラエル軍には通用しなかった。
(紛争地域では、人間は毎日いくらでも死ぬので
人命は鳥の羽よりも軽い)

日本よりも、核や圧倒的な武力を持った敵は、
こちらよりも強い立場にあるので、話し合いには応じない。
応じる必要がない。話し合いを望むのは(武力的な)弱者側の論理。
喧嘩が強い奴は、自分よりも喧嘩が弱い奴との、話し合いも譲歩もしない。
何故ならば、自分の方が有利だから。弱者だけが話し合いを持ちたがり、
譲歩を願う。その状況の優越者は、自分が有利な立場なので、
話し合いには応じないし、話し合いも譲歩もする理由も、また無い。
マスメディアや大学や識者と言われている輩は、
国際化だのグローバリズムだのと馬鹿の一つ覚えのように、
今だに言うが、ただの道具に過ぎない、英語なんていう
一外国語の必要性を連呼するよりも大事な事があると思うのだが。
日本以外の他国、他民族の考え、概念、宗教観、
人生観、価値観などを学ぶのも大事だと思う。
(世界、外国は何もアメリカ一国だけでは無い)
日本人と同様の考え方を、他国、他民族も考えてくれれば
良いのだろうが、日本人のように考えるわけがない。
まあニュースで紛争地帯や戦争の死体にモザイクをかけているような、
言わば純粋培養的な、戦争や国際紛争に対して、(或いは現実に対し)
超過保護的な国であるので、それもしょうがないと言えば、しょうがない。
(人間は簡単に(一発の弾丸などで)死ぬことを知らなければならない。
それは逆に命の大切さ、尊さを知るということにもつながると思う)
いくら我々が下手に出て、ペコペコして、土下座外交をしたとしても
他国がよしよしって、頭をなでてくれるわけでもない。
おぼれた犬を棒で叩くという言葉があるが、土下座外交をして、
我が国がいくら譲歩しても、相手国はどう思うかだ。
浪花節的な日本人特有の思想は通用しないだろう。
古い漫画に出てくるような、お互いが殴り合って戦った後に、
仲良しになるっていうような、ご都合主義的で浪花節的な展開を
期待してはいけない。
同盟国?のアメリカなど、アテになるはずもない。
アメリカ(の政治家)は日本(の政治家)の様には甘くない。
約束や条約など(相互不可侵条約を破ったソ連の様に)
反故にする可能性は否定出来ない。
他国よりも自国アメリカの安全や利益を優先するだろう。
ただ使えるうちは、日本を吸い尽くし、利用するだけ。
(日本とアメリカの関係は、ソープ嬢とヒモの関係と同様)
使える内は、絞るだけ絞るし、有事の時には盾にもさせられるだろう。
胡麻と百姓は絞れば絞る程出るもの」という言葉がある通り。