かぐや姫解散コンサートで録音された、余りにも有名な声。
「わたしにもきかせて」それに、これを逆回転させた声、
「わたしもそこにいきたかった」は私が子供の頃のトラウマであって、
初めて聞いた時には、鳥肌が立ったことを思い出す。
現在の私は人生も半ばを過ぎ、どちらかと言えば、
あっちの世界の住人に近いので、今では怖くなくなってしまった。
これや心霊写真を怖いというのは、まだ年齢が若い証拠だ。
これを怖がる若い方は、今は、怖いかもしれないが、
これから人生を歩んでいくうちに何とも思わなくなる。
それは自分で老いを自覚し、どっちかといえば、
(距離的にも感覚的にも)あっちの世界の住人に
近くなってしまうと怖くなくなってしまう。
(生きているから怖いんだ!逆に考えるんだ!
自分が幽霊になれば、怖くないと!
おどかされる側からおどかす側になれば、怖くないと!)
「わたしにもきかせて」それに、これを逆回転させた声、
「わたしもそこにいきたかった」は私が子供の頃のトラウマであって、
初めて聞いた時には、鳥肌が立ったことを思い出す。
現在の私は人生も半ばを過ぎ、どちらかと言えば、
あっちの世界の住人に近いので、今では怖くなくなってしまった。
これや心霊写真を怖いというのは、まだ年齢が若い証拠だ。
これを怖がる若い方は、今は、怖いかもしれないが、
これから人生を歩んでいくうちに何とも思わなくなる。
それは自分で老いを自覚し、どっちかといえば、
(距離的にも感覚的にも)あっちの世界の住人に
近くなってしまうと怖くなくなってしまう。
(生きているから怖いんだ!逆に考えるんだ!
自分が幽霊になれば、怖くないと!
おどかされる側からおどかす側になれば、怖くないと!)
「わたしにもきかせて」を逆回転させると
何故、「わたしもそこにいきたかった」と聴こえるのかは、
このサイトで検証しており、この人物が言っている事が正解だと思う。
http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-1584.html
(記事投稿時では閲覧可能)
何故、「わたしもそこにいきたかった」と聴こえるのかは、
このサイトで検証しており、この人物が言っている事が正解だと思う。
http://kitsunekonkon.blog38.fc2.com/blog-entry-1584.html
(記事投稿時では閲覧可能)
日本語は音の構成で言えば、実に単純な言語であるので、
このような芸当も出来るのだろう。
他言語では不可能か、或いは、ここまではうまくいくまい。
(逆回転といえば、逆に歌(もしもし亀よ・・・)を歌う、おばちゃんを思い出す)
e-te-sa-ki-ko-mo-ni-sha-ta-w
えてさきこもにしゃた
このような芸当も出来るのだろう。
他言語では不可能か、或いは、ここまではうまくいくまい。
(逆回転といえば、逆に歌(もしもし亀よ・・・)を歌う、おばちゃんを思い出す)
e-te-sa-ki-ko-mo-ni-sha-ta-w
えてさきこもにしゃた
確かにこれは、聴きようによっては、「わたしもそこにいきたかった」
と殆ど同じ様な、類似した音に聴こえる。
空間に点を三つあれば、人の顔に見えてしまうと同様の現象が
この音を聴く場合でも起きて、上記のサイトの人物が言うように、
何かしらの意味を音に見出してしまうのだろう。
日本語が完全に理解出来るから起こる現象である。
この音は、発音自体も明瞭でないために、
人によっては、「わたしをすてないで」と聴こえるようだ。
前記の「わたしにもきかせて」についても、同様で、
人によっては、「私にも聞かせろ」と聴こえる人もいるようである。
と殆ど同じ様な、類似した音に聴こえる。
空間に点を三つあれば、人の顔に見えてしまうと同様の現象が
この音を聴く場合でも起きて、上記のサイトの人物が言うように、
何かしらの意味を音に見出してしまうのだろう。
日本語が完全に理解出来るから起こる現象である。
この音は、発音自体も明瞭でないために、
人によっては、「わたしをすてないで」と聴こえるようだ。
前記の「わたしにもきかせて」についても、同様で、
人によっては、「私にも聞かせろ」と聴こえる人もいるようである。
『ウィキペディア(Wikipedia)』のかぐや姫の記述の中の
「かぐや姫解散コンサートで録音された声について」に
「しかし奇跡体験!アンビリバボーで、
前日談での女の子の話は嘘情報ということを取り上げられた。
そしてその声は、ラジオでの葉書をモチーフにした悪戯とみなされている」
という記述がある。
奇跡体験!アンビリバボーは見ていたが、
このかぐや姫の件については覚えが無い。
見たような、見なかったような記憶が曖昧である。
しかし悪戯にしても、最高の出来栄えだと思う。
この搾り出すような、かぼそい声、まるで瀕死の女が出すような声、
まさに我々が想像する死者の声、幽霊の声を具現化したような声である。
これこそ日本で一番有名な声かも知れない。
「かぐや姫解散コンサートで録音された声について」に
「しかし奇跡体験!アンビリバボーで、
前日談での女の子の話は嘘情報ということを取り上げられた。
そしてその声は、ラジオでの葉書をモチーフにした悪戯とみなされている」
という記述がある。
奇跡体験!アンビリバボーは見ていたが、
このかぐや姫の件については覚えが無い。
見たような、見なかったような記憶が曖昧である。
しかし悪戯にしても、最高の出来栄えだと思う。
この搾り出すような、かぼそい声、まるで瀕死の女が出すような声、
まさに我々が想像する死者の声、幽霊の声を具現化したような声である。
これこそ日本で一番有名な声かも知れない。
それにしても、幽霊だのあの世だのは有る意味、実にロマンチックだ。
もし、あの世があるなら、私は大喜びだ。正に号泣ものだ。
もし幽霊が存在すると仮定するならば、
私は是非、自分の愛蔵する洋古書にとりついてみたい。
人形に念がこもるなどとよく言うが、もし念というものが有ると
仮定するならば、人形なんかよりも何倍も何百倍も
念がこもりやすいのは、フランスの洋古書だと思う。
(私は毎日、私が愛蔵する、フランスの洋古書の元の持ち主が
現れないかと待っているんだが、まだ現れない)
しかし、ほにゃららの呪いだとよく言われるが、逆に考えるんだ!
(どんだけネガティブ&マイナス思考なんだYO)
幸運のほにゃららだと。(幸せをもたらすほにゃららだと)
私は、自分が愛蔵する、洋古書を「幸運の洋古書」だと思うことにしている。
(ありがちの因縁、手放しても罰則などの無し、というか、
私が死んだ後に他人の手に渡る)
何十年、何百年経過し、(戦争や災害などから逃れ)
フランスから、或いは世界各国を何万キロも彷徨い、
極東の島国の日本まで来て、この世に依然として
本の形体のまま存在出来るのは、正に幸運としか
他に言いようが無いではないか。
(何にしても物は考えようだ。コップに半分しか水が無い。
まだ、コップに半分ある・・・みたいな)
まやかしにしても何にしても自分でルールを作っている。
自分を制御するのは自分しか出来ない。
自分で自分が怖いものを作り出すだけの話。
もし、あの世があるなら、私は大喜びだ。正に号泣ものだ。
もし幽霊が存在すると仮定するならば、
私は是非、自分の愛蔵する洋古書にとりついてみたい。
人形に念がこもるなどとよく言うが、もし念というものが有ると
仮定するならば、人形なんかよりも何倍も何百倍も
念がこもりやすいのは、フランスの洋古書だと思う。
(私は毎日、私が愛蔵する、フランスの洋古書の元の持ち主が
現れないかと待っているんだが、まだ現れない)
しかし、ほにゃららの呪いだとよく言われるが、逆に考えるんだ!
(どんだけネガティブ&マイナス思考なんだYO)
幸運のほにゃららだと。(幸せをもたらすほにゃららだと)
私は、自分が愛蔵する、洋古書を「幸運の洋古書」だと思うことにしている。
(ありがちの因縁、手放しても罰則などの無し、というか、
私が死んだ後に他人の手に渡る)
何十年、何百年経過し、(戦争や災害などから逃れ)
フランスから、或いは世界各国を何万キロも彷徨い、
極東の島国の日本まで来て、この世に依然として
本の形体のまま存在出来るのは、正に幸運としか
他に言いようが無いではないか。
(何にしても物は考えようだ。コップに半分しか水が無い。
まだ、コップに半分ある・・・みたいな)
まやかしにしても何にしても自分でルールを作っている。
自分を制御するのは自分しか出来ない。
自分で自分が怖いものを作り出すだけの話。