それでは、ご覧頂こう・・・『心霊写真~日本人の独自性と繊細さ』Ⅱ

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最後に写真の紹介したい。
私の心に残るものばかりを紹介する。

A.
円山応挙と鰭崎英朋による幽霊画。

B.
「Acidente em Sintra」
YOUTUBEで見る事が出来る。
怖くないし、幽霊を演じている娘は
やはり美人だという感想しかない。

C.
外国の幽霊画?
確か「写真集恐怖の心霊写真」の巻末にも載っていて、
私が子供の頃にTVで見て、強烈に印象に残っている。
夢を絵に描いたらしいが、詳細は忘れた。

D.
「狂気の眼差し」と呼ばれている写真。
タイトル通りに、尋常ではない表情だ。
考察するならば、ただの二重写しの類である。
笑わせようと道化を演じた表情と他の風景との
二重写しだと思う。
しかし、それはさておき、楽しい写真ではない。
初めて見たとき、背筋がぞっとしたのを覚えている。
偶然撮影されたのにせよ、ここまで不気味なのは
捏造しようと思ってもなかなか出来ない。
実に見事な偶然の産物である。

E.
TV番組で紹介された写真
人が居るはずもない断崖に、
後ろ向きになって写る女の姿。
髪の毛で女らしいと判る。
どんな偶然が成せる業かは知らないが、
よくぞ、ここまで作り上げたものだ。
外国には決して見られない日本だけの心霊写真。
外国だったら、有名な、火事場の少女の心霊写真に
代表される様に、そのまま判りやすく写るはずである。
また、外国には、そんな種類の心霊写真しかない様に思う。
この写真も初めて見た時、ぞっとした。

F.
これもTV番組で紹介された有名な写真。
なんと2枚で一組の写真になっている。
これも日本独自の心霊写真と言える。
ここまで多様に富む、心霊写真は外国には無いと思う。
外国の心霊写真と言われるものは、単純であり、
ここまで捻ったものはないと思う。
外国人の感想を是非訊いてみたいものだ。
ここまで多様化した心霊写真は外国には決して無いだろう。

G.
これもTV番組で紹介された写真。
白帷子の(すごい形相をした)女の姿に見える。
砕ける波が偶然、そう見えるだけなのだろうが、
それにしても不気味である。

H.
これもTV番組で紹介された写真。
犬が警告を発したという説明であった。
このように、日本の心霊写真といわれるものは、
見えるか、見えないかの狭間で、
こっそりと伺うような感じのものが多い。
外国では、このような陰湿な心霊写真は見られない。

I.
これもTV番組で紹介された写真だったと思う。
多分、顔が急速に動いた?為にこんな写真になったのだと思うが、
原因が明白であっても、楽しく気持ちにはなれない写真である。
これも外国では、偶然だろうと破棄されてしまう写真であって、
諸外国では、このような写真は話題とならないと思う。

J.
これは、「写真集恐怖の心霊写真」シリーズの何巻目かに
載っていた写真で、よく記憶に残っている。
この写真では、小さくて判らないが、
人物は笑って歯を見せているのに、
ガラスに映った顔は、口を閉じて、歯を見せていない様に見える。
これも日本独自の奇妙で、不思議な写真である。

K.
これはYOUTUBEで見つけた写真。
ただのいたずらと言えば、そうなるかも知れない。
まあ、いい年した大人であっても、遊び心がある人物が
絶対に皆無とは断言出来ない。
しかし、そういう悪戯が有る無しに関わらず、
釈然としないものが残る。
こういった余分な手(指)などが写った写真も
日本独自の奇妙な写真である。
この類の写真はいずれも死人の手の様に、
弛緩しており、全く生気が感じられない。

L.
これもYOUTUBEで見つけた写真。

M.
これもYOUTUBEで見つけた写真。
何の変哲のない幼児の写真に見えるが、
頭の部分を拡大してみると・・・・。
ただそう見えるだけに過ぎないのだろうが、
気持ちが良い写真ではない。
歪んでいるとは言え、ちゃんと人の顔が
認識出来る。芸が細かいなと感じた。
これは職人芸の域に達している。
外国には決して見ることが出来ない日本だけの技である。
日本の心霊写真と言われるものは、
諸外国には決して見られないほど
捻って捻って、作りこんで有るものが多い。

N.
これもYOUTUBEで見つけた写真。
日本の心霊写真と言われるものは、そこに存在するはずが
無いものが写りこむというものがよくある。
この写真もその一つ。
高架の線路に一人の女が佇んでいる。
合成かも知れないし、本当にそこに居たかも知れない。
真実はさておき、奇妙な写真である。
日本の心霊写真の独自性は、捻って捻って捻りこんだ、
その発想力にある。
世間では、日本人には独創性が無い等と
言われるが、決してそうではないと思う。
それに、日本人は、外国人とは違い、繊細である。
虫が鳴く声ですら、それを愉しむ事が出来る。
外国では有り得ない。

何にせよ、幽霊は居ようがいまいが、
いずれは、我々は死ぬ。
それは早いか遅いかの違いだけだ。
死こそ、この世の唯一の平等だ。
死よりも確実なものはこの世に存在しない。
私も、また、この文を読んだ人間も、
この生きている、全ての人間はいずれは死ぬ。
その時、居るか居ないか判るだろう。
しかし、私は、死後の世界は存在しないと考えざるを得ない。
幽霊でも怨霊でも、また悪霊と化しても、
また地獄があろうとも、自我を保ち、意識があるのは
良いことかも知れない。喜ばしいことかもしれない。
しかし、そうなったならば、永遠に意識が有る事になる・・・。
それはそれで疲れるだけに思う。
天国が有ろうとも、意識が有る以上は、
何かしらの悩みは尽きないはず・・・。
それはそれで辛い。私はそう考える。

*よく物に念が入るだの移るだの、そういう話を聞く。
人形だの、鏡だの・・・。
しかし古書収集家からすれば、古書、稀覯書こそが
もっとも念が入り込みそうに思える。
しかし趣味がメジャーではないせいか、
そういう話はとんと聞かない。
もし、そういう事があれば、大歓迎である。
是非、元の持ち主のフランス人に会ってみたい。
どんな人生を送ったのか、気になって仕方がない。
もっとも会話が問題だが・・・。
そういえば、日本の幽霊に外国人が会った話は聞かない。
また日本人が外国の幽霊に会った話も滅多に聞かない。
やはり、そこにも言葉の壁を感じる。
しかし、日本人にとって、所詮外国人の幽霊は
日本の幽霊よりも怖くない。
外国人は、日本の幽霊をどう考えるのか?
是非訊いてみたい。
やはり、そこには文化の差があり、怖い怖くないといった
明確な差があるはずである。
日本人はやはり、日本の幽霊を一番感じると同様に・・・。