子供の頃のトラウマ 『お菊人形の謎をとく』

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最近、暑くなってきた。夏も近いので、
それにあった内容の記事を書いてみようか。
(TVで心霊写真の番組をやらなくなったのは残念だ)
俺が子供の頃のトラウマは、あの有名なお菊人形だ。
昔は怖かったもんだが年数も経ち、
かつての子供が成長しオヤジ化すると怖くなくなってしまった。
何故、このお菊人形は髪の毛が伸びるのか?
不思議に思う人もいるはずだ。俺が子供の頃のように。
では、我々はTVを見て、そこに小さい人が入っていると思うだろうか?
動物や赤ん坊ならともかく、分別がついた年齢なら、
誰もそうは思わないはずだ。
しかしTVの仕組みや構造を知らないと
まるで、TVの中に人がいるように思えても不思議ではない。
しかしそれはただ、そう見えるだけの話だ。(手品と同じ)
実際にいるわけでないのだ。お菊人形も同様である。

ここに正解が書いてある。
超常現象の謎解き
髪が伸びる原因
http://www.nazotoki.com/okiku.html
(記事投稿時なら閲覧可能)

この【情報3】には死者の髪の毛が伸びる云々という記述がある。
俺が知っているのは、昔、本で読んだのだが、結論はそう見えるだけ。
人が死ぬと皮膚が乾燥し、張りが無くなり、皮膚が萎縮する為に
結果的に髭などの毛が伸びているように見えるだけと書いてあったのを
俺は記憶している。

ここにも書いてある。
「お菊人形」「ツチノコ」解明されてないオカルト現象に迫る
オカルト現象の科学
http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20100424/zsp1004241332001-n1.htm
(記事投稿時なら閲覧可能)

ここにも書いてある。
日本人形の髪の毛が伸びるというのは本当ですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012691495?fr=rcmd_chie_detail
(記事投稿時なら閲覧可能)

タネを明かされるとあっけないものだ。
それは手品と同様である。
ただ、そう見えるだけの話だ。
もうお菊人形の髪は今は伸びてない。
埋め込まれている髪の毛は当然ながら有限である。
もう既に伸びるだけ伸びきってしまったのだろう。
靴紐を思い浮かべると判りやすいと思う。
あの靴紐は一本だが、結び目は二本に見える。
一方を長くすれば、片一方は短くなる。
別にそれを不思議と思う人はいないだろう。
驚く人もいないだろう。
しかし、それは人形だと誰もが不思議がる。
しかし原理やタネを明かされると別に不思議なことじゃない。

上記の「靴紐理論」を、この他にもネットで見つけたが、
或る人物が疑問を持ったのは、
おかっぱって、そんなに髪の毛があるものなのかということだった。
そもそも、このお菊人形の物語は、おかっぱ頭であった
ということから出発し、そう断言し、確実な事実であるという
前提で物語を構成している。
しかし、ただ伝聞だけで、その物的証拠は何も無いし、
誰も提示したこともない。
最初から、本当におかっぱ頭だったのかと、ここからまず疑うべきである。
このお菊人形の物語は、すべて伝聞で構成されている。

まず最初に大正博覧会というのは、1919年(大正7年)8月1日 - 9月19日まで
札幌区と小樽区で開かれた、開道50周年記念北海道博覧会を
指していると思われる。これは確実に実施されたものである。
しかし、人形を持ってきた鈴木なる人物、或いは人形の持ち主であった清子、
或いは菊子なる幼女は果たして、実在する人物だったのかは、
明らかではなく、また、実在した証拠も、また証言も何も無いのだ。
ただ、そう言い伝えられているというばかりで、そこにも証拠が無い。
この物語は、何から何まで、伝聞伝聞で構成されている、
何一つ証拠という証拠はどこにもないのだ。
これほど有名な話なのに、この人形を預けに来た男、それに死んだ幼女を
実際に知っているという人は(年月がたっているとは言え)現れたことが無い。
この鈴木という男にも家族がいただろうし、親戚も友人もいるはずだし、
また娘がいたのだから、妻もいたはずであるが、関連する人物、親戚や
友人、知人、誰一人名乗り上げることもないのだ。
また、この物語で不思議なのは、当時の人形をよく知っている、
人形の製作者、人形研究家、人形コレクターなどが誰も登場もせず、
一切の検証も証言もしていない点である。
不思議に思っているのは、日本人形に関しては門外漢の素人だけだ。
無知こそが迷信を作り、なんでもないことを不思議がり、或いは恐れる。
しまいにゃ魚の頭さえも拝みだす。
この世に謎は無い。ただ、そう見えるだけのこと。
知識と金はいくらあってもいい。邪魔にならない。

昔はこんな人形が部屋にあったらヤダナと思ったが、
今では、別になんとも無い。
今日から俺の部屋に、この人形を置いてもOKである。
(毎夜いつ出てきてもOK。大歓迎だ)
あの寺は、この人形が存在するから
今までも、またこれからもおまんまを食べていける。
俺が住職なら毎日拝み感謝しているはずだ。
日本の端の田舎の小寺が食べていくのは簡単な事じゃない。
坊主と言えども霞を食って生きてはいけぬ。金が必要だ。
田舎の小寺では、現金収入は、「何かしら特化したもの」がないと難しい。

ただ、俺にもわからないことがある。
男のオッパイは何のために有るのか?
何の為に存在するのか?ということだ。
正確に書くと「既に女性から男性への分化を終えた、
男のオッパイは何の為に存在するのか?」
男の原型は女であり、分化したわけだが、その分化が
完了した今では、もはや無用の長物である。
分化せず女のままなら、使うだろうが、男に分化した後は、
無用である(特殊な性癖の方を除く)