読書 黒岩正幸著「インパール兵隊戦記」

インパール兵隊戦記―歩けない兵は死すべし
1999年2月10日発行
光人社NF文庫

「歩けない兵は死すべし」―インパール撤退時、
非情きわまりなき命令の下、雨の印緬国境へ
投入された兵士たちが辿った苛酷な情況を、
行間に怒りをにじませて叙述する
感動のノンフィクション。
天険に咲くアラカン桜を家郷に
届けんと誓った八人の兵もつぎつぎ斃れ、
一人生き残った悲しき兵隊が綴る地獄の戦場
(本書紹介文より抜粋)

過酷な戦場のインパール作戦を体験した、
まだ若き下級兵士(召集)の体験記。
著者は輸送、補給を担当する輜重兵。
敵は連合軍だけではなく、
同じ日本兵も生命を脅かす敵であった。
上官の世話を戦場であってもしなければならない。
上官の洗濯、調理などをしなければならなく、
著者は上官のために肉を焼いたら、不味いと言われ
何十発も思いっきり殴られる。
戦場ですら些細なことで体格が良い上官(下士官)に
異常とも言える回数を殴打される、地獄の日々。
またタイトルにあるように、歩けない兵士、病兵は
自決を命じられ、自決を拒否すれば同じ日本兵に銃殺、
あるいは衛生兵に元気が出る栄養剤と言われ、
昇汞を注射され殺される。マラリアでも高熱が出ても、
強制的に歩かされる。日本軍では命令を拒否することは
どんな理由があっても認められない。
それだけでなく、飢餓、原住民からの攻撃、疫病もあり、
著者は55キロあった体重が30キロまで減ったと書かれている。
そんな地獄の戦場を生き抜いた兵士の記録。

インパール作戦の立案者の牟田口中将は無能と言われている。
牛に荷物は運ばせ、牛は食料にもなると言われたが、
現地の牛は荷物を乗せるのは嫌がった。
現地の牛は荷物を引っ張る習性があったからだ。
ラカン山脈の険しい山道を(結局は)牛ではなく、
兵士が荷物を運ぶことになった。兵士は極限まで疲弊した。
もう最初からダメで、作戦自体机上の空論であった。

[兵士たちの戦争]生存者が語るインパール作戦
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/T6RRnMR3ApE?si=i3TqrePV6q8qDFte

【実録映像】 太平洋戦争8 / インパール作戦
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/i6u9PeXujAk?si=xf8Eg9DVqcZpi6bS