お薦めの本「ブックセラーの歴史」

本を買うなどというのは自分たちには縁がない生き方だ。
本屋などというものは自分たちのような人間のために
あるものではない。
(ブックセラーの歴史 はじめに P006~P007)

知識と発見を伝える出版・書店・流通の2000年
ジャン=イヴ・モリエ著
2022年刊行 A5・320ページ 定価4620円

古代から今日に至るまで、時代・国を超えて
知識と情報を獲得し、思考と記憶を深める
ツールとして人々の手を伝わってきた書籍
という商品について、どのように人から人へ
と伝わり、交換・販売されてきたのか、
その歴史をたどる。(本書紹介文より抜粋)

本書はフランスをメインにして論述された著作であり、
大変よく書かれた本であり、興味がある方にはお薦めが出来る。

本書冒頭のはじめにはフランスの作家、英語教師、言語史家、
役者である、クロード・デュヌトンの少年時代においての
本への思い出が書かれている。彼は田舎の農民の息子であり、
ドイツ占領下で過酷な子供時代を送った。
彼は農民の息子であるから、そんな農民には本なんて必要がなく
本を買う行為は極めて愚かで馬鹿げたことで金の無駄遣いだと
彼は母親には思われていた。彼はそんな少年時代を送り、
苦労して勉強し作家、英語教師、言語史家、役者になった。

多くの日本人はマスコミの報道戦略、マーケティング戦略などにより
フランスを21世紀の今でもオシャレ(世界一オシャレで洗練され服飾に
金をかけるのは日本人)だの杓子定規の固定観念で考えるようだが
フランスも我が国日本も昔は大多数の民衆は貧困であったし、
本を気軽には買えるほど金銭的にも時間的にも精神的余裕がなかった。
今も昔も読書は世界中の全部の人間が日常的にするものではなく、
極めて特殊な極一部の人間がする行為である。

私は雨がしとしと降る、そんな夜の読書は最高だといつも思う。
私は子供の頃から読書をしており、本屋や図書館には頻繁に行っていた。
しかし、それは稀であり、読書をするのは決して普遍的な行為ではない。
私はまだ若い頃に読書しない人がいることにとても驚いたことがある。
何故ならば活字中毒者の私にとって読書は心臓を動かしたり、
呼吸するのと同じで常にしている行為だったからだ。それも無意識に。
読書をしないのはその人には当たり前のことであって、読書をしなくても
生きていけるのだ。私は野球観戦やサッカー観戦などのスポーツ観戦
には興味がなく、見なくても平気だし、自分の人生に何の影響も与えず、
生きていけると同様に。
(最近野球選手に大谷という選手がいるらしいという最新情報を掴んだ。
名前だけは知ったがどんな人なのかは知らない。女ではないのは
推測が出来る。何故ならばプロ野球選手で女子はいないはずだから)
人は興味があることは調べるし、追求はするが、興味がないものは
よほどのメリットがない限りは調べることはない。
SF小説に「華氏451」というのがある。本の所持、読書が禁じられた世界だ。
この設定には矛盾がある。知識は次世代に文字(技術書や専門書)や映像、
画像などにより伝達されないと最終的にはよくて中世、あるいは原始時代
レベルの生活に退化してしまうからだ。(それとも管理側は本は禁止になって
ないかもしれない)今はインフラ化したネットやPCやスマホにしても
技術や情報、知識の伝達により継続し進化している。
口頭による知識の伝達だけではこの21世紀の文明は維持が出来ない。

名著110「華氏451度」
https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/110_kasi451/index.html

【HBO】『華氏451(2018)』
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/AKkDBRdXpcI

Fahrenheit 451 1966 Trailer | Oskar Werner
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/r6VUExA5UKA

これら映画のように技術や文化の伝達がなくなると今の21世紀の
文明を維持することが出来なくなる。

The Time Machine (2002) Full Library Scene
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/CQbkhYg2DzM

The Time Machine (2002) | Clips 
| Library in the future scene
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/0CWZ7ywzDnA

The Time Machine (1960) Meet The Eloi 
/ Books Crumble To Dust HD
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/D_ZfZaRCWTI

もし私なら上記の映画The Time Machine (1960)のような状況なら
異世界ものラノベみたいなハーレムを作るだろう。
(この世界の男なら誰でも本音ではそう思うはずだ)

いままで私は人に読書をするとか、趣味は読書などと言ったことがない。
読書は極めて個人的な行為であり、それはオナニーのように恥ずかしく
人に見せるものではないからだ。今は若い時よりは読書量は減ったが、
今でも読書する姿を見られるのは恥ずかしいと思っている。
だから私は人前では絶対読書をしないし読書をするのを見せたことがない。
また本や読書の話を人としたことがない。
また本棚を人に見せるのも恥ずかしいことなので本棚を見せたこともない。

近年、驚いたことはこの世界にはダミーブック、ディスプレイブックと
呼ばれる商品が存在し、それが販売され、購入する人間がいるという
事実だ。(ダミーブック、ディスプレイブックを女体に例えれば、
オリエント工業の人形と本物の女体くらいの違いがある)
ダミーブック、ディスプレイブック価格は安いとはとても言えず
フランスの古書のが逆に安いくらいに思える。
以前ネット記事で知ったことだが、風俗店でラブドール
呼ばれる人形と擬似性行為をする金額が本物の人間の女とする
価格と変わらないことに納得がいかなかった思いがある。
(まだこの地球上の女は全滅してないのに)
人工ダイヤモンドと天然のダイヤモンドは大きな価格差があり、
価格は同額なわけがなく、人工ダイヤの価格なんて
本物と比較すればタダ同然の価格に過ぎない。
(今まで私は風俗に行ったこともなくまた女を買ったことも
ないが、知識としてだけはそのようなことは知っている。
昔と比較し本の価格は下落し女の価格は上昇した)

それにまた本棚の画像が印刷された壁紙まで存在し、
それを販売し、実際に買う人間が存在することにも私は驚いた。
こんなことが書いてある「知的でおしゃれにみえる」
私には知的とは何なのか判らない。
知的は数値化して定義化が出来ないものだ。
あと知的といえば、メガネという視力が正常ではない人
のための補助具がある。
つまり簡単に言えば障害者が健常者に近づくための道具である。
メガネをかけた人を知的に見えるなどと呼称する人がいる。
またはこの障碍者のための道具を伊達メガネと呼んで、
正常な視力があり、メガネをかける必要がない健常者までかける
という現象がある。
メガネをかけている人間は好きでかけているでは絶対ない。
その証拠にコンタクトレンズを使用したり、レーシック手術
などの高額な手術までをしてメガネをかけない生活を
望んでいる人が多数存在する。

私は身近にある本をおしゃれとかカッコイイとかは思わないし
知的(の意味が判らない)とも思わない。
ただフランスの古書の中にはまるでオブジェのように美しく
またはカワイイものがあって、何十年、百年を超えても、傷もなく、
新品同様で、まるで今出来たばかりのようなフランスの古書は
美術品かのように思えてくる。
私は自分の架蔵するフランスの古書を手に取る時でも
今まで手袋をしたことがない。

「貴重書は白手袋を着けて」という誤解
https://www.hozon.co.jp/report/post_8754

本を買う、古書を買う、本を借りる、読書という行為は
客観的に見るとかなり特殊な行為だ。
人は本を読んでいる人を見て決まってこう言うんだ。「偉いね」
そういう人は読書をしている人を見ると偉いといわなくちゃならない
日に最低1回のノルマとか決まりやルールや人生の縛りがあるのか
と思ってしまう。

「読書=えらい」の違和感
https://note.com/takingmylifeback/n/n5d5a83df3253

仕事の休憩中に本を読んでたら
「頭良さげなふりして気取ってんじゃねえ」と絡まれた…
読書=マウントと考える人がいまだに沢山いる話
https://togetter.com/li/1733996

「反感を買うから」上司から趣味が読書って
あんまり言わない方がいいと助言を受けた話
https://togetter.com/li/1731960

このような読書という行為を好意的に解釈せず
批判することに対し、上記のtogetterではポル・ポトとか
反知性主義との書き込みがある。
(しかしポル・ポト自身フランスへ留学をしたエリートであり
それはベトナムホーチミンも同じであった)

読書を習慣にしてない人からは読書という行為を偉いと
言われてしまうが、これは偉いとか偉くないとかではなく、
読まなくちゃならない病、中毒性、依存性があるためだ。
それは快楽、悦楽であり、自己満足のオナニー
みたいなものなのだ。それを人は「偉いね」なんて言う。
オナニーは好きでやるものであって、
仕事でも義務でも強制ではない。
それにその作業は一人でするもの(で、もし複数になれば
それは生命の複製を作る作業の一環の性行為と呼ばれる)
本を買う、古書を買う、本を借りる、読書という行為が
当たり前で習慣になっている人間とそれを一切しない、
しようとする概念すらない人とはかなりの断絶、隔たりがある。

著者は語る リンボウ先生 役に立たない読書のすすめ
国文学者・林望
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO16566690Y7A510C1000000/

上記に「本をたくさん読んだ人が偉いわけではない。
読んでなくてもコンプレックスを感じる必要はない」と書かれてある。
私から言わせてもらうと読書(=自己満足のオナニー)を
たくさんするのは偉いわけではないみたいなものだ。
(私にとって読書は自己満足でしかなく、オナニーの存在意義と似ている)
確かにそのオナニーよりは男女間の性行為のが楽しいに決まっている。
オナニーは所詮(そこには女体の感触も匂いもない)代換行為で
しかないからだ。
本という依存性、中毒性、病に罹らない人は私から見れば羨ましく思える。
「本に実利性を求めてはいけない」と書いてあるが、書籍も映画もゲームも
アートも音楽も実利はないが、人生というものをより楽しく豊かにさせる
効能がある。(特に読書や映画やゲームは他者視点の擬似体験さえも出来る)
効率や実利だけを追求したらそこで娯楽や文化は停滞する。
つまり上記の「華氏451度」の世界になる。

本屋も古書店も図書館もまた読書という行為は
今後もなくなることはないはず。
特に読書は文字により情報や技術の伝達がなければ、
文明(技術)を維持することが出来ないのだから。
古書は最も身近なタイムカプセルとも言える、古書を開けば
そこには歴代の所持者が挟んだものがあり、また歴代の
所持者の書き込みがあり、そこには歴史がある。
本を人よりもかなり長生きする。何百年も。

書籍も古書も女みたいなものだ。類似点が沢山あると自分では思う。
(誰もが欲しがるものほど早く売れ、また美本ほど早く売れてしまう)
読書が苦手とか嫌いな人がいるが、まだ自分と相性があうような
魅力的な理想的な本に出会ってないだけだろう。だから夢中になれない。
女の数は無数に存在し、毎日誕生している。本も同じで毎日多数の本が
出版されている。その無数の本の中にはきっと自分好みの本、
相性が合う本がある。女の好みも本の好みも他人と一致することは稀だ。
名著といわれる本があるが、それは誰にでも合うわけじゃないし、
旨いで評判の有名ラーメン屋でも全ての人間が旨いと評価するわけじゃない。
理想の女(本や古書)にはいつかは出会える、ただ自分のものに出来るかは
また別の話として。

もし私が読書しない人間であったとしたら、
こんなブログなどは書かない、まず書く概念すらもないだろう。
本を読まないから漢字に弱くてとか言ってみたり、
今のように日本やフランスの古書に興味を持つこともなく、
野球観戦やサッカー観戦やオリンピックに夢中だったり、
燻製作りや蕎麦打ちなどをしていたかもしれない。
TVをいまだに見ていたかも知れない。
(TVは高校生の頃から次第に見なくなり今のTV視聴は0秒)
映画は見るかもしれないが、字幕では絶対なく吹き替えで
見るだろう。(字を読む作業、読書が習慣化されてない場合、
文字列を瞬時に理解することはなく、また読むのに時間がかかるし
読むという作業が面倒で苦痛になるだろうから)
または風俗に通い、パチンコなどのギャンブルを
していたかもしれない。
そして読書をしている人に私はこう言うんだ。「偉いね」

私も死ぬまでに1度でいいから、読書をする人を見つけ
「偉いね」って言ってみたい。
そう、そこらの普通の人のように。
読書をしない人のように。
得意面々にドヤ顔をしつつ、そう言ってみたい。

そういう普通の人は、ドアと窓以外は本棚という部屋には
住んでないし、蔵書管理に気を使うこともない。
なんて素晴らしい人生なんだろう。
私はいつもそういう普通の人が羨ましい。
もし私がそういう普通の人ならダミーブック、
ディスプレイブックを買い、部屋に飾り、オシャレだの
知的(という意味が私には判らない)だのカッコイイ
だろうと言わんばかりにドヤ顔で生活するんだ。
そして普通の人のように壁一面が本棚みたいな部屋は
カッコイイとか、そんな部屋に憧れるなんて言ってみたい。
本を買うとか読書には保管場所、経費、手間暇がかかる
もし本を買わず、また読書をしないならば、その分のお金や
時間や空間を他の事に使えるし、これほど理想的な人生、
素晴らしい生き方はないだろう。

私は男だが、もし女に生まれたら、読書はしただろうか?
しない可能性もある。女に生まれたら常にメイク
(ジルスチュアートやデパコスなど)研究、黒髪でロングな
髪型をいじり、美容院には頻繁に行き、ネイルをし、
ガーリーやフェミニンな服装(アクシーズファムとか)や
下着(チュチュアンナとか)にもかなり気を使うはず。
かわいいは正義。お菓子作り(ケーキ)や料理もするだろう。
(ミニ)スカートやワンピースやがメインになるだろうし
黒タイツやブーツも履くだろう。ゴスロリやロリータや
メイド服にもチャレンジはしているだろう。
もちろん量産型や地雷系やぴえん系にも。
下記の事例にあるように量産型や地雷系やぴえん系みたいな
コーデやメイク、髪型は昔からあります。

美少女とロックは大阪/京都/神戸/東京/名古屋/福岡を中心とした
美少女ストリートスナップ
http://bishojo-rock.com/all/1/index.html

そして私の白馬の王子がどこかにいないか必死になるだろう。
男みたいなボーイッシュな髪型や服装はしてないはず。
女しか出来ない女らしいカッコをしているだろう。
音楽はパンクは聴くかは判らない。たぶん極普通の音楽を
聴いているだろう。
そして読書をしている人を見たらこう言うんだ。「偉いね」

そして女の私はこう思う。
「いまどき本なんて読むのは偉ぶってて気取ってて
頭よさげなふりをして、マウントをとって好きじゃない
イケてないし、ムカつくし、ウザいし、ダサイし暗いし、
マジキモいし、どういう人生を歩んだら、読書をしちゃうような
変な人間になるのだろうって思うし、どういうこと?
私にはありえないんだけど」
ただファッション雑誌とかは読むと思う。図書館には行かないし、
美術館や博物館にも行かないけど、デパコスの常連になっていると思う。
デートをする相手がもし間違って本の話なんてしたら、女の私はこう言う。
「え?わかんない。葬式?っていう本を読んでいるの?」
「葬式と聞こえたんで。ソーセキ?何の人?」
「あ、小説家なんだ、昔の人なんだね、歴史とか興味ないから判らないの。
へえしらなかった、すごい、すごい、偉い、偉いね。
本を読むなんて頭がいいんだね、すごい知的な人なんだね、
尊敬しちゃう、憧れちゃう、私は本は苦手なの」
読書をしない、そんな女の私は「走れメロス」位は知ってそう。
「メロスは激オコプンプン丸だった(死語)」とか。

もし女である私が判らないこと、出来ないことがあれば、女の武器を使い、
媚を売り、彼氏や男友達に一休さんのあの有名などちて坊やのように聞く
またはやってもらう。
「だって私は女ですもの、そういうことは女の私がすることじゃないし
それは男の仕事だもん、そういう風にこの世の中がなってんだもん
別に私のせいじゃないし」
そんなか弱い女の私に群がる男たちは決まって私にこう言う。
(スマホのラインにはおじさん構文を含め)
「どした?話聞くよ」

もし女に生まれたなら、今の私とはかなり違う人生を歩むはず。
人は自分が持ってないもの、持つことができないものを欲しがる。
読書しない、そんな人に憧れるし、理想の生き方だと私は思う。
昔のことだが本を余り読まないような感じの彼女が私にはいた
彼女が私の部屋に来た時、部屋に置かれてる本で
私が本を読む人だとばれてしまったようだ。
彼女には私には知らない、出来ない分野ではかなりの知識や技術が
あるのを知り、それを凄いと思い、補完し合えると思ったものだった。
本を余り読まない彼女は私にはとても新鮮だった。
趣味や得意分野が同じでもまず完全な合致はないから、
同じ趣味の女なんて私は求めたことがない。
だから自分が知らない分野、出来ない分野に博識な女、
歩く百科事典みたいな女ほど憧れるし、私には理想の女に思えてしまう。

それとはまた別にどんなことでもできちゃう、全知全能な
完璧な女も良いとは思う。つまり数学、化学、薬学、美容学、
医学、歯学、保育、機械工学、電気工学、情報処理、軍事
世界情勢、建築土木、農林水産、生物学、物理学、航空宇宙工学、
天文学、文学、歴史、考古学、書誌学、装丁美術、図書館学、
古文書学 心理学、英語、フランス語、ドイツ語、オランダ語
スペイン語、イタリア語、ロシア語、中国語、哲学、経済学、
商学、法学、政治学、美術、音楽、格闘技、各種スポーツ、登山、
スカイダイビング、スキューバダイビング、スキー、車、船舶、
ヘリコプター、自家用飛行機、バイク、自転車、茶道、華道、
バレエ、乗馬、服飾史、洋裁、和裁などが人に教えることが
出来るほど完璧に出来る女とかは正に理想、理想すぎる。
私にその全ての知識や技術を教えてもらいたいし、腕枕もしてほしい。
(彼女に腕枕をしてほしい男は個人的な調査では意外に多い。
膝枕は彼氏彼女間では定番すぎる定番だが)
ありえないのは充分判っている。
それは実際に魔法を使える女を見つけるのと同等の事だと判っている。
いや、実際に魔法使いの女を捜すのが楽に思える。
ここまでありえない大願成就はタイムマシンを発明するほどに難しい。
ここまで荒唐無稽な話は漫画や映画やSFの世界でもない。
いままで何でかいつも歴代彼女にはなんで?どうして?と一休さん
あの有名などちて坊やのように聞かれてきたが、
逆に私がこれからは彼女に聞きまくりたい。なんでなんでどうして?
人は生まれるとき、時代も親も性別も選ぶことができないが
もし私が女に生まれたなら、最低日に1回は読書をしている人を
見つけて「偉いね」と得意面々にドヤ顔で言うことをノルマにしたい。

*私はブログを始めて2005年5月から18年以上書いているが
今までの人生で得た知識や考えや考察、興味がある事柄、
読んできた本、見た映画、聞いてきた音楽、好きな美術などを
書くにしてもこのままでは永遠に終わることはなく、
結局は未完のまま私は死ぬのは既に判っている。
(現時点では日に最低でも数個は興味を惹く事柄が出てくる)
余りにもこの世界は私の興味を惹くものが多すぎる。
不可能なのは既に判っていることだ。私が今まで見聞してきた、
この世界の全てを紹介するのは人生は余りにも短すぎる。
まだ私は何も書いてない、それは砂浜の数粒レベルでしかない。