映画 『父親たちの星条旗/硫黄島からの手紙』

イメージ 1

イメージ 2

フジTVで、8月14日には「父親たちの星条旗
8月15日には「硫黄島からの手紙」が放映された。
両作とも監督はクリント・イーストウッド
父親たちの星条旗」は余り日本人にはピンとこない話で、
硫黄島に立てられた星条旗にまつわる話であり、
アメリカ万歳的な映画になっている。
硫黄島からの手紙」については、
日本人的にはちょっと違うなみたいな違和感を感じたし、
いかにも作ったエピソードもあったが、
”あのアメリカ映画にしては”「本物の日本人も参加」しているせいか、
まあ及第点というべきか。
指揮官の栗林忠道は駐米した経験があるせいか、
旧来の作戦を否定し、極めて合理的な作戦を立て、
長期の抗戦を成功させた功績は大変大きく、
今でも評価され続けている。
アメリカを知らずして、作戦を立てるのは愚挙であり、
無謀である。指揮官たるもの、敵を知ってこそ、
効果的な作戦を立案出来るものだと思う。
(出来れば道具として敵性言語の英語も使用できれば尚良し)
敵国アメリカは、汝の敵を知れとばかり、敵国日本の研究をし、
従軍する兵士にも敵国日本、日本人の考えや行動や習慣などを
事細かに教えていた、現に教育教材のフィルムも存在している。
伊藤海軍大尉役の中村獅童は実に憎たらしくも狡猾な、
嫌らしい役で、彼には適役であった。
戦時に彼のような横暴な上官が居れば、後ろから撃たれる場合もあったと聞く。
その為、戦場では、弾は前から来るとは限らないと言われ、
横暴な兵士と言えども、若干は大人しくなったとも言われる。
極限状態の過酷な戦場では、いくら上官であっても
あそこまで無謀な命令を下せば、弾はいつ後ろから飛んでくるかも判らない。
また映画ではバロン西役の伊原剛志も実に良い役柄であった。
西郷昇陸軍一等兵役の二宮和也もひょうひょうとした演技で
彼には適任であったと思う。
しかし、映画の最後で、彼が捕虜になるシーンはまずありえないだろう。
シャベル(武器になりゆる)を持っている時点で射殺されるはずだ。
劇中にもあったが、捕虜は余裕がある時だけであって、
米兵が余裕が無く、殺気立っている場合などは
投降したとしたとしても、射殺された。
運が良ければ、捕虜になれるが、運が悪ければ、
さっさと射殺されずに、なぶり殺しにされる。

硫黄島もそうだが、南洋や沖縄で米軍は、
火炎放射器を効果的に使用している。
極めて非人道的な兵器だ。
いや兵器であるので、非人道的なのは当然だ。
死が大抵一瞬で訪れる他の兵器とは違い、
一秒が永遠に感じられるほどの激痛を感じたまま、
一瞬では死ねないのは火炎放射器による、焼死だろう。
(ナパームはゲル状で皮膚にへばりつき燃焼し続ける)
嫌な死に方だと思う。誰もが火傷を経験していると思うが、
ちょっとした火傷でさえも、傷はズキズキと痛むほどなのだから、
それを考えてみれば、相当酷い殺し方だろう。
アメリカが撮影した戦争の写真で、特に印象に残ったのは、
ソロモン諸島での一枚の写真であった。
ナパームか火炎放射器で殺された日本兵の首である。
まるで米軍が見せしめに日本兵の首を切断し、
それを戦車に吊るしているように見える。
米兵はお土産に日本兵の頭蓋骨や金歯や耳等を持ち帰ったという話もある。
(*写真参照)
少なくとも、米兵は、日本国旗や軍刀、銃剣や写真や手紙など、
日本兵の遺品を戦利品として、故郷へ持ち帰っていることは事実だ。
硫黄島においても、米兵は日本兵の頭蓋骨を戦利品として
持ち帰ったという話もある。
こういう事は、現代の日本では、大人の事情で、放映出来ない事実だろう。
日本にとって、アメリカは世界一素晴らしい国で、世界の憧れで、
世界の模範的な存在で、差別無き国家で、いつでも正しい正義の国で、
世界一人道的で、日本の兄貴的な存在で、頼もしく、頼りになり、
信頼出来て、優しくて、陽気で、寛大で、日本の永遠の**お友達なのだから。
少なくても今のマスコミはそのような報道姿勢をとっている。
(戦時中のマスコミの報道姿勢は鬼畜米英であったが)

*新聞記事の内容。
愀々たる鬼気は肌に粟を生ぜしめる。
もはやこれは人の世のものでは断じてない、同胞よ、その眼をそむけてはいけない。
皿のような両眼をむいてこの写真をにらみつけよう------
いま心ある敵国人をも含めて天道人倫のために世界中の人々を憤慨させている
写真こそ実にこれである。米鬼の本性を自らの手であますところなく全世界に
広告したこれが"髑髏と少女"の写真なのである。
我国にも良く知られるアメリカ雑誌ライフの5月号がこの怪写真を掲載した。
いち早く同誌を手に入れたドイツ外務省によって動かぬ証拠と新聞記者会見に
掲示されたが、10日午後2時半、そのベルリンからはじめて電送によって
日本へ届けられたのだ。ライフの説明に曰く----
『これは日本兵のドクロを米国兵が記念品としてこの少女に贈ってきたものだ。
彼女はいまこのドクロの寄贈者にお礼の手紙を書こうとしている』。
あゝこの髑髏がわが勇士の神聖なる遺骨であるという。
南の島に散ったわが神のごとき将兵の聖骨であるという。
一瞥、はっと息をつめたつぎの瞬間、むらむらとわれらの胸奥に沸る日本人の血、
外道米鬼への復讐に逆流する日本人の血、
地球の最後の日までアメリカ人はともに天をいただかざる真実の怒り、
憤り---われらの同胞の聖骨はかくして冒涜されたのだ。
きりっとみひらく眼光でこの頬に手をやってペンを握る生意気なヤンキー娘をにらみ殺せ。
それにしても、年もゆかぬ少女を使って、かかる蛮行を演じなくてはならない
敵国宣伝の行きづまりこそ嗤うべし。また眼前の戦局にのぼせあがり、
食人時代の昔に還ったアメリカ人の冷血の暴露こそ憐れむべし。

米の野獣性に法王使節怒る
米国に於ける日本兵遺骸に対する冒涜事件に対し比島民は
今更ながら米国民の残忍性と野獣性に憤激しマニラには
囂々たる非難の嵐が起こっているが、右遺骸冒涜事件に関し、
マニラ駐在ローマ法王使節ギリエルモ・ピアニ師は8日次の如く声明、
痛烈なる論難を行うとともに米国民の反省を促した。
前線に於ける戦死日本兵に対する米国兵の野獣的行為に対し、
比島ローマ法王使節ギリエルモ・ピアニ師は教会戒訓により
厳に禁止ある遺骸冒涜に対し痛烈なる非難をなすものである。
キリスト教徒としてかかる行為は黙過する能はざることは
勿論、人道的見地よりしても許さるべきではない。カリフォルニア、
オレゴン州境附近のツラ・レーク収容所に於ける
抑留日本人に対する言語に絶する虐待に対しても
戦時下抑留敵国人は当然の尊敬を以って神聖に取り扱うべきことを勧告し、
使節は比島教区長の名においてかかる野獣的行為を断罪するものである。

慌てたルーズベルト  寄贈の紙切小刀を送り返す
米国民主党下院議員ウオルターはさきに大統領ルーズベルトに対し
日本兵戦死者の骨から製作した紙切り小刀を寄贈したが、
この紙切り小刀事件をはじめ日本軍兵士の戦死体冒涜事件は
全世界に米国人の野蛮性の正体を暴露し国際的に囂々たる
非難の嵐をまき起こした。
ワシントン来電によれば事態の意外な発展に流石のルーズベルト
気がとがめ、かつ狼狽したと見えて紙切り小刀をそのままウオルターに
返却した模様でホワイトハウスは次の通り発表した。
大統領は日本兵の骨から作ったといわれる紙切り小刀を寄贈者に送り返した。
同時に大統領はこうした物を手許に置きたくないことを明らかにし、
且つこの骨は埋葬した方が良いだろうと勧告した。

NHKの「硫黄島 玉砕戦 ~生還者 61年目の証言~」を見たので補足する。


やはり映画は、甘いものであった。
やはり映画は映画であって、舞台や劇みたいなもので、
とてもリアルには描けないし、描くつもりもないのだろう。
生存者のインタビュー聞き、映像を見ると
映画よりも当然ながら現実の方が何倍も酷い。
ここで語られる生存者は当時17歳とかで今で言えば高校生であって、
映し出される当時の写真を見れば、本当に子供そのものである。
映画の評で、西郷を演じた二宮和也が若すぎるという意見もあるが、
いくらでも若い兵士はいたので別に問題はないと思う。
それに二宮和也の話し方が現代調であるという意見もあるが、
たかだか60~70年前では男の話し言葉は変化は無い。
ただ違うのは昔と比較し、外来語や略語が相当多くなっただけである。
戦前や戦中の手記や日記や記録や小説を読んでみても
男言葉や男の話し方には違いは殆ど無い。
しかし女に関しては相当な違いがあり、今や女言葉は完全に消滅しつつある。
米軍のカラーフィルムで印象に残ったのは、壕から引きづり出される、
本当に若い日本兵である。
その顔は火炎放射器で酷い火傷を負い、真っ赤に腫れ上がっていた。
生存者の証言によれば、火炎放射器で炙られるので、顔が焼け爛れて、
顔から皮膚が垂れ下ったという話である。
また、壕内は高温であり、食べ物も水もない。
ウジを食べるのはまだ良い方で、墨を食べたという話である。
当然、石も鉄も土も食べられない。だから生物のカテゴリーに属する、
ウジを食べたのだろう。
口に入るものは何でも食べようとしたのだろう。それほどの飢餓であった。
人が死んでも映画のようには悲しんでいる余裕はなく、人が死んだから、
何か使えるもの、食べられるものは無いかという思いだけであったという。
人が死んで悲しいなどという感情は自分に余裕があるからなのであって、
極限状態では、そんなことよりも人が死んだから、
その人が持っているものは不要になるので、所有物の中で
何か自分が得られるものは有るのか無いのかだけになってしまう。
余りにも苦しいので、早く楽になりたい。
つまり、死にたいという思いだけであったと生存者は語った。
生存者は仏前の氷が入った水をお供えしていた。
死んでいく仲間はみんな水が欲しいと言っていたからだ。
自分が苦しくない時は誰でも死を考えない。生きたいと思う。
サウナ並に熱い壕内、水もなく食べ物はない。汗と垢で体はドロドロになる。
(うろ覚えだが生存者は少なくても5日、多くて20日は食べていないと語った。)
死体に湧くウジを食べる。まだ口に入れるのが生物なのはマシで、墨まで食べたという。
そんな状況なので、早く楽になりたい、死にたいと思うのは不思議ではないだろう。
何故死ぬんだ、馬鹿じゃないのかと思うのは今の自分が余裕があるから言えることだ。
当然映画はそこまで極限を描いていない。サウナ並に熱い壕内。
出たくても出られない。出たら、米兵が待ち構えていて、死ぬ。
出なくても、火炎放射器で炙られる。出なくても餓死する。

**友達だから金を出せよ。友達だから兵器買えよ・・・。
無いなら国民から出させりゃいい。
アメリカ、いや世界のお財布的存在、日本。
無いなら増税すれば良い。その金は国民が餓死しても作らせる。
これほどチョロイ国家、国民は無い。
世界史上最も他国に舐められた国家、国民である事は間違いない。