最高の戦闘服それはジャージだ 映画『エネミー・ライン』

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20世紀のきょう】セルビア人勢力がNATO軍機を撃墜(1995・6・2)
(AP)ボスニア上空を監視飛行していた北大西洋条約機構軍の米F16戦闘機が、
地対空ミサイルで撃墜された。搭乗していたスコット大尉はパラシュート降下。民兵から逃れ続け、
6日後に米海兵隊に救出された。体重が11キロ減っていた。救出活動を各国の約40機が支援。
大尉は「日夜私より苦労し、私のように祝福を受けることなく黙々と任務に励む兵がいる。
全兵士への賛辞として受け止めたい」と謝意を語った。
(2009.6.2 03:10産経ニュースから抜粋)

この出来事を元に、映画『エネミー・ライン』が制作されたと言われている。
原題 (Behind Enemy Lines) 2001年アメリカ制作。106分。
TVでも放映されたので、見た人も多いだろう。
見どころは映画冒頭の撃墜シーンと脱出シーンである。
執拗に主人公を追うジャージ姿の傭兵?の存在も見逃せない。
この映画の場合はアメリカは厳密に言えば、戦時下ではないが、
この映画に限らずとも戦時下、或いはそれに準じた状況下で、
敵領内で撃墜されれば、搭乗員は、ただではすまない。
(周りは全て敵である)
第二次大戦時の日本でも、B29等が撃墜され、
何とか脱出しても、運が良ければ、捕虜、運が悪ければ、
日本刀などで米兵が斬首されるなどして何人も処刑されている。

その記録が残っている。(以下抜粋)
墜落日時 1945年8月8日
墜落位置 東京都北多摩郡谷保村多摩川河畔(東京都国立市谷保)
所属 第20空軍第314爆撃団第29爆撃群第6中隊
攻撃目標 中島飛行機武蔵製作所
墜落原因 高射砲(日野・高射砲第114連隊第12中隊)
機体ニックネーム City of Phoenix

機内配置 氏名 階級 認識番号 生死
操縦士 SHUMATE, James L. 大尉 0-668505   X
副操縦士 MASHALL, Thomas O.  中尉 0-770705   X
航法士 POULOS, Nicholas 中尉 0-2060580   X
機関士 MORRIS, Lester C. 曹長 32361362   
爆撃手 JONES, Norman M. 中尉 0-2065467   X
レーダー操作 YASSES, Henry 中尉 0-2067995   X
中央火器管制 BRENNAN, Harold P. 技術軍曹 33949753   X 
左銃手 PAYNE, James F. 二等軍曹 34795366   X
右銃手 MILLER, Mark E. 二等軍曹 42105744   X
尾部銃手 CAGLE, Raymond G. 伍長 17004481   X
無線士 MORONE, Serafine 二等軍曹 32617362   X
便乗 ANTHONY, Bob 少佐 0-430738

中島飛行機武蔵製作所に対する最後の攻撃。
第二次大戦で戦闘により喪失した最後のB29となった本機は、
高射砲弾直撃により、東京都国立市谷保及び青柳にかけての
多摩川甲州街道の間の田園地帯に墜落、
現場付近で発見された8遺体は、谷保天満宮北の滝乃院墓地に埋葬された。
パラシュート脱出したMorris 曹長とMorone二等軍曹は
立川憲兵分隊に連行され、立川憲兵分隊長矢島七三郎憲少佐の指示により、
Morris 曹長だけが東部憲兵隊司令部に送られた。(戦後帰国) 
Morone二等軍曹は翌9日、分隊庁舎から約五十メートル離れた
十字路で立川市民に見物させられた後、
午後一時頃、憲兵隊庁舎の東隣にあった立川市立錦國民学校
(現立川市立第3小学校)校庭のバスケットボールのポールで
作られた十字架に縛りつけられた。
錦國民学校村野孝福教頭によるGHQ法務局宛て報告は以下のように記している。
「飛行士ハ短カキズボンノミニテ跌足上衣モツケズ、体格ハ身長大キクテ肥リ
頭ノ毛ハ赤毛ヲ帯ビテアマリ長カラズ。当日校庭ニ集合セシ民衆ハ
老幼青壮年男女合セテ約八百名ヲ超エル多数ニシテ
憲兵ノ指揮指導ニテ民衆ニ交互ニ竹ノ棒ニテ背中ヲ打タセタリ。
先頭ニ打タセルハ松村ヨネナル老婆ニシテ息子ノカタキトバカリ
力一杯ニ打チタリ。中頃飛行士苦シクナリシカ頭ヲ振リシヨリ打ツノヲ止メサセ、
コップニ水ヲツギテコレヲノマセントセシガ一口二口ノミタルノミニテ後ハノマズ。
依ツテ又續ケテ打タセリ。午後三時頃終リテ民衆ヲ全部帰ヘラセノチ
飛行士ヲ担架ニ乗セ憲兵二人ニテカツギ他ニ一人付添ヒ学校ノ
廊下ニ運ビ入レ軍医ニ診療ヲササシメンガコノ時飛行士ハ
上ゴトノ如ク何カヲ言ヒツズケ居リシガ低音ト英語ノタメワカラズ」

飛行士は短いズボンのみでハダシで上着も着ておらず、体格は身長大きく太り
髪は赤毛を帯びて余り長くない。当日校庭に集合した民衆は
老幼青壮年男女合わせて約八百名をこえる多数で憲兵の指揮指導をもって
民衆に交互に竹の棒で背中を叩かせた。
先頭で叩かせた松村ヨネという老婆は息子のカタキというように力一杯に叩いた。
中頃、飛行士は苦しくなったようで頭を振ったので、叩くのを止めさせた。
コップに水をそそいでこれを飲ませたが、一口二口飲んだだけで後は飲まなかった。
よって、また続けて叩かせた。午後3時頃に終わり、民衆を全部帰らせた後
飛行士を担架に乗せて憲兵二人で担ぎ、他に一人付き添って学校の廊下に運び入れて、
軍医の診察を受けさせたが、この時、飛行士はうわごとのように何かを言い続けていたが
低音の英語のために判らなかった

Morone二等軍曹は、この後、立川市羽衣町正楽寺墓地に運ばれ、
立川陸軍航空廠勤務という氏名不詳の陸軍中尉により斬首、埋葬された。
この事件は、戦後、占領軍に知られ分隊長は終身刑の判決を受けたが、
処刑役を買って出たという実行犯は分からずじまいであった・・・という話である。
息子を米軍に殺されたと推測される老婆、それに、これに参加した立川市民を
誰も責めることなど出来ない。
戦闘行為は、相手を負傷もしくは殺害する行為であり、
当然ながら敵の憎しみ、激しい憎悪を買う。
息子や肉親を米兵に殺されれば、その米軍に所属している兵士が憎いと思うのは、
善悪は別として当然のことだろう。
この処刑された米兵にも故郷があり、親や兄弟などの肉親や友達や恋人がいるだろう。
爆撃や銃撃された、我々日本人も同様である。そこに戦争の悲劇がある。
今の日本は、憲法第9条に関して、論議が起こっているが、
その第9条を厳密に守ろうという意識がある人間でも、
敵に肉親を殺されれば、憲法第9条に対する見方が変わるのではないかと思う。
肉親を殺されれば、誰でも平然とはしていられない。