読書 小川護著「私のシベリヤ物語」 (光人社NF文庫)

私のシベリヤ物語―捕虜生活三年間の青春
2011年11月21日発行

寒さと戦い、飢えと戦い、戦友たちは孤独
の中で死んでいった―ソ満国境でソ連軍を
迎え撃った若き見習士官の抑留体験。
日々、過酷な環境にさらされながら、
明るさと希望を失わず、仲間とともに
帰還の日まで懸命に生きぬいた青年の物語。
(本書紹介文より抜粋)

前にも書いてきたことだが、今まで戦争に関する本、
記録を読み、動画も見てきた。
それにはシベリア抑留に関する記録や動画も含まれる。

本書は若き二十代の陸軍見習士官の体験だが、
悲惨な体験だけではなく、誇張や盛った話もあるだろうが、
面白おかしく書かれている。
本書にはソ連軍の女医や女囚などのソ連の女との交流が
書かれている。
その点稀有な記録だし著者は立ち回りがうまく要領が良い。
彼が抑留者の中で早期帰国出来たのはソ連若い女医が
彼を帰国させるべきだと言い張ったからだし、
彼は多くの人に助けられている。

抑留先のソ連の物品販売所のドアなしの便所
(1箇所しかないから男女混合)の記述では
(女医、将校の妻を除き)ソ連の女は下着を履いている者はなく
また便所は個室ではなく、ただ穴に板があるのみで
会話をしながら排泄をする記述がある。
(これは中国のニーハオトイレみたいなものだろう)
日本には音姫なる排泄音をごまかす装置があるが
ソ連では排泄は生理現象だから恥ずかしがるという
概念はなく、紙もないので排泄後拭くということもなく
ソ連の女たちは排泄後ケツを振るだけだという。

著者は18歳の女囚のニーナーと2人のペアを組まされ、
作業をする。
著者に言わせるとニーナーはかわいさ70点の乙女。
抑留された日本兵は常に飢餓だから性欲は0だが
ロシア人は食料が十分なので性欲もあると書かれている。
自分の名前をニーナーに教えようとするが、
ロシア人には難しいので「あなた」と呼ばせることにする。
著者は18歳のロシア娘から、まるで新婚夫婦のように
「アナーター」と呼ばれることになる。
身振り手振りと数少ないロシア語の単語で会話していくうちに、
まだ若い男女だし、エロい話もしていく。

ニーナーは段々発情してきて著者とやりたくてしょうがなくなる。
18歳のニーナーは「あなた、わたしとやりたいか?」と著者に訊く。
著者は「食べてないからナニが立たないから出来ない。
黒パンを持ってこい」と言う。
著者は作業をニーナーだけやらせ、黒パンを持ってこさせる。
著者はニーナーをはぐらかし子作りをしようとしない。
何故なら事前に日本軍軍医に女囚は性病を持っていると聞かされ
ここには性病の薬もないと言われていたからだ。
著者が全く手を出してこないのでニーナーが辛抱たまらなくなり、
著者を押し倒し、キスの範疇を超え、顔中を嘗め回す。
ニーナーはやりたいが著者はやりたくはない。
このままじゃニーナーはおさまらない。
原文のままをここに書くと「俺のホイはどうしても立たないから、
お前のをマスをかいてやるよ」
ニーナーはズボンを脱ぎ、寝転び、大股開きになる。
そこで著者は「強烈な匂い」を感じつつ、指でサービスをする。
著者はニーナーに黒パン6キロを持ってこさせたし、もう放流するかと
考え、他の日本兵に良い話(ニーナーの性欲の件は言わない)だけをして
仕事場を変えてもらう。

そういう話は他にもあり、著者は男のナニをアブに刺され、
ナニが限界まで腫れ上がった。
若い女医(若い女医しかいない)の診察を受け、それ以降、
著者が寝ているバラックまで女医が毎日きて、ナニを見せてみろと
言われ、その女医は下から手を添え、著者のナニをしみじみ
観察されるのを完治するまで繰り返される。
このように他の日本兵なら経験が出来ないことを経験し著者は帰国した。
他にはこのような手記の定番のネタである、ソ連兵は算数が出来ない
などの記述があり、ニーナーも計算が出来ないので
著者が教える記述がある。ニーナーは2年しか学校に行っておらず、
ジャガイモを盗んでシベリア送りになったという。
また民主化の吊るし上げや帰国船上での上官への報復などの記述もある。

以前、ww2関連をネットで検索していた時、
終戦ソ連軍の女性戦車兵が日本人男性をレイプしたという手記を
見つけたことがある。
女性がソ連兵にレイプされる話はドイツでも日本でもよく聞く話だが、
日本人男性がソ連の女性兵士にレイプされる話はまず聞くことはない。
本当にあったのかは確認のしようがない。
レイプがあったとして当時レイプ加害者側のソ連の女性兵士が
1945年に20歳だと仮定しても2023年には98歳になっている。
加害者も被害者ももう鬼籍に入っているだろうし、
またそんなことは両者ともに絶対公言できないことなので
確認のしようがない。しかしいつでも真実は一つで複数はない。

平和祈念展示資料館

シベリア強制抑留者が語り継ぐ労苦(抑留編) 第9巻
聞き取り調査

敗戦の苦しみ
熊本県 小佐井善次

市内の広い公園でソ連軍の女子戦車隊が約三十人ぐらい
天幕で野営していた。そこを日本人の男が通ると
必ず呼び止め、声をかけて天幕の中に引き込む。
何をするかと心配すればロシア語でフルフルと言うのである。
セックスのことで、女が男を強姦することであって、
返事しないと殺されるので仕方なく言いなりになった日本人も
いたらしく、そこは通らないようになった。
(347ページの抜粋)

https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/yokuryu/09/S_09_345_1.pdf
(記事投稿時には閲覧可能)

YOUTUBEにはシベリア抑留に関する動画が数多くある。

【抑留の記憶】ソ連捕虜として“シベリア抑留”…
命つないだ「黒パン」とは?
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/RCPpfkVdw4Y?si=kurtvmheeKqEtIn9

ラーゲリ】101歳最後の証言…極寒の森で死んだ仲間の
衣類を分けた ーシベリア抑留の記憶ー
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/5zpDQCodyww?si=6QTDMKpLUEaVySKK

強制収容所ラーゲリ」から生還 貴重な体験語る
相模原市の97歳男性【News Linkオンライン】
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/fxvHF6RamLI?si=jb47A5d-GQPLlL3V

終戦】今も耳に残る「ラボータ・ダワイ!!」 
シベリア抑留を生き延びた99歳の証言(2022年8月16日)
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/nW8s3nJkQhk?si=Ec5E6wBBrjfLida1

「語り継がねばならぬ 
人生に刻まれたシベリア抑留の記憶」山田秀三
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/63SgL8FSlXA?si=o6JxFqQ1rbXQhCYJ

ドキュメント『行き先も、分からずに~20歳の初年兵、
シベリア抑留の記憶~』
福生市制作:記憶のアーカイブプロジェクトⅠ〉
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/ifou5l3NwiU?si=84iwzQtIlpVi77Pf

オンラインで楽しむ企画展
「戦争と疫病 兵士・シベリア抑留者・海外からの引揚者」
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/Hqd5GOdvRYQ?si=3PJAWdH3LET32hcm

戦争の証言記録はこれ以上は残すことが出来ないほど年月が経過した。
今、高齢でなんとか証言できるのはww2当時の若年層でしかない。
それ以上の年齢の者は既に故人となってしまった。