読書 大石圭著 「優雅なる監禁」

優雅なる監禁(角川ホラー文庫)  2016年7月刊行

この地獄を抜け出す、
悪魔に心を売ってでも。
歯科医として働くクリスチャン、聖。
勤務先の医院長は、大学時代から
仲の良い双子の兄弟
スマートで優しい慎一郎、
大柄で明るい健一郎だ。
ある日、彼らのプロポーズを断った聖は、
中庭の“音楽室"に監禁されてしまう。
双子は本性を現わし、陵辱はエスカレート。
身も心も壊された聖は、神に祈るのをやめ、
ある復讐に踏みきる
「私、健ちゃんと慎ちゃん、
どちらかと結婚したいわ」。
凄絶なラストに心奪われる、
エロティック・リベンジホラー。
第二部からの怒濤の復讐劇に、ご用心。
(優雅なる監禁紹介文より抜粋)

大石圭の小説の「60秒の煉獄」を読んで、
今度は大石圭の「優雅なる監禁」を読んでみた。
本書の評価はネットを検索してみてみると
酷評が目立つが無理もない話だと思う。
主人公をキリスト教徒にしたが、何故
そういう設定にしたのかは判らないが、
日本ではクリスチャンの比率は少なく
人口の誤差程度の数字しかない。
クリスチャンでもこの場合プロテスタントだとは
わかるが、日本の場合はイメージ的には
クリスチャンはカトリックのイメージが強い。
昔のことだが、当時付き合っていた彼女が
カトリックのクリスチャンであったため
私は四谷のカトリック麹町聖イグナチオ教会
付き合いで行ったことがあるし、
また同じ四谷の様々なクリスチャン向けの
ショップを何軒も連れまわされた記憶がある。
私には普通の宗教観しかない、普通の日本人なので
縁がない、このような場所は珍しかった。
場所が四谷の上智大付近なので若いかわいい女性が
多く感じた。
私は典型的な日本人の宗教観で死ぬときは仏教、
正月は初詣に行く神道であって
宗教には全く興味がないがそのような経緯があり、
今まで何度が宗教に関しては少し調べたことがある。
ユダヤ教キリスト教イスラムという
アブラハムの宗教や勿論仏教、神道など。
何故ヒロインはカトリックではなく
プロテスタントなのかという理由付けが
欲しかったように思うし、
キリスト教徒という割りには違和感がある。
何か明白な理由があるのかもしれないが
その理由が読者には提示されてない。

大石圭は初期の作品は評価が高いのが多いが、
近年では本書のように評価が思わしくないものが多い。
人気作家になり、大御所になり、多作になり、作品はまるで
流れ作業的な大量生産になり、同じような
テンプレのキャラ、似たような設定が目立つようになった。
ネタ切れという読者の声もあるようだ。
やはり大石圭のようなコアな作家を読む読者は
かなり目が肥えているので本書みたいな
映画「I Spit on Your Grave」系の小説は
大石圭以外でも既に何作かは読んでいる人も多く
生半可な作品では高評価を得るのは難しい。
しかし読者の中にはそういうマンネリ、テンプレが良いという
評価もあるようなのでそこは難しい。
とても安心感がある定番、どこで食べても同じ味の
チェーン店の味みたいに。マンネリ、テンプレのがいい、
安心するという声もあるだろうし。

いつもの痩せていて、乳房が小ぶり、ヘソピアス、小麦色の肌
茶髪云々というヒロインは作家の妻君なんだろうかとか
思っている読者が多い。
私と大石圭の理想の女は私とはかなり隔たりがあり
かすりもしてない。真逆と言っていいかもしれない。
女の取り合いには絶対なりそうにない。
そこがアナタハンの女王みたいな状況下であったりしなければ。
ハンサムで完璧な理想の男性像の本書の兄弟の一人は
何故、あんなにさえない女を妻にしたのかは判らない。
支配欲だかなんかを満たすためとはいうが、そういう
感情が私には判らない。神奈川県の平塚市を舞台にしているが
あんな昭和の名前のあんなにさえない女が神奈川にいるのか?
と思ってしまう。それはどこにでもさえない人はいるかもしれない
だろうけど、その必然性や何故そういう設定なのか私には不明であり、
説得力がないように思える。
あのレベルの女なら雇用されるのが難しくさえ感じる。
映画向きの作品だが、小池弥生役をやれる女優はいるのだろうか。
正直、この役は引き受けたくなる役柄ではない。
小池弥生のやり取り、絡みはなんか漫画やコメディに思える。
ここまでの女はいないだろうと思わざるを得ないが
いくらなんでも小池弥生はデートにジャージや
パジャマを着てこなかっただけまだ常識があるのだろうし
やる気がある?のだろうか?二十代後半で首都圏に
通うOLが化粧なし?それで小池弥生の女体が年相応の
成熟した身体ならわかるが、真逆だし。
これで勃起するような特殊性癖の男がいる?
弥生に対して優越感?こんな完璧なイケメンが?
同レベルとかならまだわかるけど?
優越感を感じる相手があまりにも下過ぎないか?
乗り物でいえば、高級車乗りが三輪車に乗った幼児や
自転車の乗った小学生に対して優越感を持つようなもの。
設定は地元の名士、金がある高収入、大学を優秀な成績で卒業、
イケメン、高身長、小麦色のマッチョ、礼儀正しく優しい、
素敵な笑顔みたいなことが書いてあって、
こんな俺だから、女なんていくらでも寄ってくるとか言う割には
風俗に頻繁に行くし、交際相手は徒歩で会いにいける
身近な女だし、なんでそこまで完璧な男が世界規模で女を
探索とかじゃなく東京の女でもなく、横浜でもなく、
平塚限定の身近な女限定なんだろう。地元密着型のヤンキーみたい。
すごいこぢんまりしてる。
まあ、そこは架空の小説に過ぎないわけだし。
そこまで突っ込んでいたらきりがない。

大石圭の作品は神奈川を舞台にし、横浜などが
舞台になる場合が多いが、横浜弁がでてくる印象もなく、
言葉使いは東京みたいな感じがしてしまう。
(過去横浜弁を使う横浜の彼女がいたのでその辺は判っている)
重箱の隅をつつくような細かい指摘ではあるが、
やはり架空に小説でもそこはある一定以上の
リアリティが必要に思う。会話表現は役割語になっているかも。
何故あのイケメンの完璧な兄弟はヒロインに執着するのか
判らない。何も舞台が孤島とかアナタハンの女王みたいな
状況でもあるまいし、また田舎の人口10人とかの集落でも
あるまいし、平塚、神奈川県内、またはその周辺には横浜、鎌倉、
東京までを含めたらヒロインレベルの女がいくらでも
いるだろうしヒロインを超えるほどの女ですらいくらでも
いるだろうに、何故そこまでヒロインに執着するのかが判らない。
そこには確たる理由も明確にされてないように思う。
架空の小説にそこまでの指摘はしても意味がないかも知れないが
そういうのが気になってしまった。

あとは読者の大半が思うようにSMのような官能小説的な描写が多い。
こんな官能小説では俗に言う大人のおもちゃなるものが
出てくるが、そういうのは存在は知っていても必要性がないので
使ったこともなく、これから使う予定もない。
自分のを使えばいいじゃん。男ならデフォルトでついてんじゃん。
そんな特殊な性癖を私は持ってないので何故そうすることで
興奮をするのかわからない。何故性行為にあんな痛いことを
しなくてはならないのかが判らない。
私にとってデートも性行為も娯楽であり、エンターティナーであり、
そこには笑顔も笑いもユーモアもあるし、それでいてロマンチックな
男女間の最高の愛のコミュニケーションだと思っている。

この下記の映画の13秒からのシーンはユーモアがあり
とてもロマンチック、この映画で描かれるこのカップルは
とても相性がいいがよくわかる。

A Very Long Engagement / Un long dimanche 
de fiancailles (2004) - Trailer (FR)
https://youtu.be/SyU8eQiJfsk?t=13
(記事投稿時には視聴可能)

この男女間の行為行動原理はあの名著リチャード・ドーキンス
「利己的遺伝子」に書かれている通り。
この名著は生物である人間が何故そんな行為をするのかを
解き明かしてくれる。人間の行動にはすべて何かの理由があり
結局は自分の遺伝子を複製し次世代へ繋げる行動でしかない。
人のセックスを笑うなという邦画があり、未見ではあるが
昔、性行為最中に、一連の行動が滑稽に思えてきて
笑い出してしまったことがある。彼女は喘ぐのをやめ、
あれれ、どうしたの?みたいな顔になった彼女に
何故笑い出したことに関して説明したのを覚えている。
穴に棒を入れてピストンするわけだが、それが必死で入れている側も
必死じゃん、入れられている側も必死じゃん、で入れられている側は
新宿アルタ前から都庁からまで聞こえるかのような大声であえぐじゃん。
あんまり必死すぎて滑稽で笑い出してしまった。

そういえば言葉攻めというのがあり、あれは何故か形式が
テンプレなのかと思う。「~ごらん」
例文 「ここに何を入れてほしいのか言ってごらん」
何でかごらんをつけたがるというか、ごらんしか聞いたことがない。
意味 「~みなさい」の丁寧な言い方で、聞き手にその行為を促す場合に
使われますということで本当に丁寧な質問だとは思う。
日本語は本当に美しく繊細な言語だと思う。
性行為は真剣でムードを出してロマンチックにするようにしているが
どうしても滑稽なことがある。正常位中に互いの腹が合わさり、
そこでパフッみたいな音が出るのでまた可笑しく思えてきて
集中できなくなり、そこにタオルを挟んだことがある、これで音が出なくなった。
しかしバックからのあの音の場合はやりようがないので放置するしかない。
あの性行為はみんな同じじゃないし、その人により違うが、
男で声が出る男がいるとは聞くが、そんなことは私にはありえない。
そこまで気持ちがいいわけでもなく、なんか冷静に真剣になってしまい
どうすれば彼女が女の喜びを感じ満足してくれるのだろうとかを考える作業になる。
それに飽きさせない工夫もしている。あらかじめ問診票みたいに
要望を聞く場合がある。誰もがあのような性行為をしているが、
タブーなのでみんな本音を言わず、建前だしそれはアンケートでも同じ。
だからアンケート結果と実情とはかなり離れているとは思っている。
同じ女もいないし、同じ男もいない。性癖もフェチも違う。
女体も同じ女体がない。女の数だけ皆違う。
女体も女の味も実際にその時になってみないとわからない。
だからガッカリおっぱいという言葉も生まれた。
ネットが台頭し、女の扉が開く擬音語の「くぱぁ」まで生まれた。

女の反応もその女により違い、だいしゅきホールドや
背中に爪を立てたりする。これは行為中はずっとなのでかなりの傷になる。
猫が爪研ぎでもしてんの?みたいな多数の傷を負う。
まるでキリストの鞭打ちみたいな惨状になる。
あまりの痛みに行為に集中するのが難しくなる。
(私は女がネイルやマニキュアした指が好きなので彼女は長い爪をしている)
これに関し、軽くクレームまではいかないにしても
なんか痛いんですけどみたいにと言ったら、
ごめんね、痛かった?どうしても無意識にやってしまうの
と申し訳なさそうに謝罪された。背中の傷を見せたら
自分がやったのにすごいびっくりしていた。
あと彼女がエクスタシーで死んだようになったりすると、
バック・トゥ・ザ・フューチャーのあの有名セリフみたいに
「いますか?お留守ですか?」あるいはハイサワーCMの
「お客さん終点だよ」みたいな心境になる。
気がつくのを待ち、話を聞くと「身体の力が抜ける」そうで。
女の快感は男性の10倍とかは聞いたことがあるが数値化が
出来るのだろうかと思うし、何故10倍という数値という疑問もある。
女の女体は実際に味見をしてみないとわからないし
女の持ち物がミミズ千匹や巾着かなどは試してみないと判らない。
それに性にも相性がある。
ここらの問題は本当にギャンブルみたいなものだと思う。
人間の数だけその身体も違うし、また性行為も違う。
これはタブーなのでこういう研究は殆どされてないと思う。
また研究しようとしてもタブーなので被験者が建前しか言えない、
言わない場合もあると思う。

あのイケメンな高スペックな完璧で賢い男の設定のはずなのに、
あんな行動をとるのかもなんか説得力にかける。
女の理想をまるで具現化したイケメンで金持ちな男なら、
わざわざバツイチのヒロインと再婚したがるのかなと思ってしまうし
作品の設定が説得力がなく、いかにも都合よく作った設定なので
こんな体たらくでは高評価を得るのが難しい。
今までの自分の個人的な体験だと容姿が良い男女ほど愛想はいいし
優しいし親切で対応も良い。良いイメージを維持したいんだと思う。
どんなにイケメンや美人でもかわいい女でもそこには裏があると
いいたいのだろうか。いくら激昂憤怒の状態でもヒロインやイケメンの悪人は
ヤクザまがいの口調で口が悪すぎる。これも裏表があるみたいな表現なのかな。
大石圭は好きな作家なので出来るだけ粗は見て見ぬフリをし
依怙贔屓して出来るだけ高評価をつけたいが、やはりそこには限界がある。

大石圭の作品の傾向として、予定調和のテンプレのワイン、
クラッシック音楽とか、時計や車、またはブランド、服の傾向だが、
私の趣味とはかなり違い、そこらにいる普通の人が買うレベルであり、
マニアでは全くない。本物のマニアレベルなら、
まずそのものがネット検索したとしても情報が少ないか出てこない。
それに大量生産品が多く、一点物がほとんど出てこない。
絵に書いたような、テンプレの金持ちであり、
マニアが唸るほどではなく、余りにも普通すぎる。
出てくるものすべてがいくらでも売っているレベルの
普通のものしか出てこない。マニアは普通のものは欲しがらない。
いくらでも入手可能なものは欲しがらない。
普通のものを欲しがるのは普通の人だけである。
マニアが欲しがるのはマニアックなものだけである。
私とはかなり趣味趣向が違う。酒にしても薬草酒のアブサンとか
を出してくれればいいが、それはいくらなんでも無理な話なのはわかる。
性癖とか倫理観、道徳観は特殊で異常でも、そういう趣味志向、
センスは平凡で予定調和であって登場人物はマニアレベルまでの
探求心もないし追求しない感じがする。
多読する登場人物なんてありえないわけだし。
多読する登場人物なんていたら、もうそこで普通の人ではなくなってしまう。
あまりにもマニアなものを出すとマニア以外の読者には判らないし
イメージが出来ないので大藪春彦みたいにグッズやブランド名を
表記するしか方法がないのだろう。
まあ何にしてもこの全世界の人が納得し、また高評価を得るのは
どんな天才が書こうがそれは無理可能な話だ。ただ説得力がある描写もある。
それは美人を表現するのにノースリーブを着ているという表現がある。
街中にはたまにノースリーブを着ている女がいるが、
もれなく美人とかかわいい女ばかり。これは法則で真実だ。
しかしホルターネックの女はまず都内でもめったに見ない。
まあ、そこは何にしても架空の小説に過ぎないわけだし。
いろいろ突っ込んでいたら本当にきりがない。
これからも大石圭には期待して読んでいきたいとは思っている。