2018年光文社刊。
数年ぶりに馳星周の作品を読む。
元山岳遭難救助隊員の得丸志郎は、残雪期の白馬岳で
公安刑事・池谷博史と再会した。二人は大学時代、
山岳部で苦楽をともにした同期だった。
急遽、白馬岳山頂までのガイドを頼まれた得丸が麓に
電話を入れると、警察に追われた公安刑事が東京から
逃げてきている、という話を聞かされる。厳しい検問が
敷かれ、逃げるには山を越えるしかないと言われたその時、
池谷が拳銃の銃口を押しつけてきた―。
(紹介文より抜粋)
提灯記事ではなく、正直に感想を書く。
数年ぶりに馳星周の作品を読んでみた
これじゃない感がすごい。
かつての山仲間の妹と会ってしまうというご都合主義。
この広い日本でこの山だけが何も山ではないだろうに。
2016年に雑誌に掲載されていたが、会話が昭和の雰囲気がする。
主人公(40歳位)は山屋だが、離縁したという描写もあり、
童貞でもあるまいし、かつての山仲間の妹を意識して
捕われの身でありながらも赤面してしまう始末。
何故、そこまでして山に登るのかは私には判らない。
山オタには本オタの気持ちは判らないのと同様。
17歳の頃はなんでか山に興味を持ったが、今ではその欠片すらもない。
いつもの馳星周の小説と違い、アラが目立つ。
最近は馳星周の小説から離れていたせいもあるのだろうか。
自分を殺しにきた北朝鮮の工作員の命を救うシーンがが複数あり、
救助しても相手はどうせ自分を殺すだろうと思っていたが、
その通りだった。今までの馳星周に出てくる登場人物とはかなり違い、
非情ではなく、限りなく甘いので面を食らった。
字数稼ぎかはわからないが、大学時代の回想シーンが
無駄に多く、ダレてしまう。無理に回想シーンを入れずともいいとは
思うがかつての山仲間が実は日本人ではなく、北朝鮮人であり、
日本人になりすましていたというのは現実味がなく意表を突いた。
このような山での逃避行はかつての西村寿行やあるいは大藪春彦でも
見られたが、どちらかと言えば、西村寿行風味。
ありきたりの内容になってしまい、馳星周ならでは、馳星周でしか
読めない内容の小説ではないように感じた。
馳星周は好きな作家ではあるが、その中でもお奨めはできない部類の小説。
馳星周の作品の中では合う合わない、好き、そこまで好きじゃないとかが
あるが、その中では合わない、好きじゃない方の部類。
馳星周の「生誕祭」や「復活祭」のようには分厚くはないのでサクサク
読めてしまい、読み応えはない。ただ映画化向きではあるとは思った。
物語の最後がページ数から予想が出来て、やはり投げっぱなしで
もやもや感、消化不良感しかない。
男を背負ったままの最後は映画「あゝ野麦峠」を思い出した。
映画「あゝ野麦峠」の舞台も長野だ。