6月21日 サド文学について 36~38冊目

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通称 マル・キ・ド・サド(サド侯爵)
Donatien-Alphonse-Francois de Sade(1740~1814)
18世紀フランスの作家、思想家。

『ソドムの百二十日』(青土社刊)
les 120 Journees des Sodome ou l'Ecole du libertinage.

『ジュスチーヌ物語、又は美徳の不幸』(未知谷刊)
la Nouvelle Justine ou les Malheurs de la Vertu.

『ジュリエット物語、又は悪徳の栄え』(未知谷刊)
Juliette ou les Prosperites du Vice.

我が人生とは文学への傾倒で有ったとも言えると思う。
その文学に浸りきった、我が人生において、
サド文学は、もっとも衝撃を受けたと言っては
過言では無いのである。
今回は、そのサドを紹介しようと思う。

本邦において、本格的にサドを紹介し、
また体系的に論じたのは、澁澤龍彦である。
彼の功績は大きいが、彼の翻訳は残念な事に抄訳でしかない。

私は最初に、サド文学に触れたのは、
1990年の事だったと記憶している。
「ソドムの百二十日」(青土社刊 佐藤晴夫訳)が
図書館に有り、私は何やらいかがわしそうな本だと思い、
早速借りて、読んだのである。
正に衝撃的であり、これほどの哲学は無いだろうと思った。
彼の本は、実に哲学的であり、
神を論じ、悪徳を論じ、また美徳を論じている。

それから私は、その青土社の「ソドムの百二十日」を買い、
それ以降に未知谷から刊行された、佐藤晴夫訳(完訳)の
一連のサドの著作を買い求めたのである。

今回、挙げた書影はサドの代表的な三作品であるが、

他に・・・

『閨房哲学』(未知谷刊)
la Philosophie dans le Bourdoir.

『アリーヌとヴァルクール又は哲学小説』(未知谷刊)
Aline et Valcour ou le Roman Philosophique.

『ガンジュ侯爵夫人』(水声社刊)
la Marquise de Gange.

上記の三作品を所蔵している。

佐藤晴夫の翻訳は忠実に訳され、
また猥語もあからさまに表記されている。
(ここに書くのさえ憚れる四文字の言葉である)
サドは興味本位に語られる傾向に有りがちだが、
サドの真意はそうでは無く、反権力や神の否定で有った。
教会が絶大なる権力を誇示していた、18世紀のフランスにおいて、
反権力、それに神を否定する事は、正に社会的地位や
存在を抹殺される事を意味している。
そんな無謀とも言うべき、果敢な挑戦をし、
生涯を終えたサドを、私は感嘆せずにはいられないのである。

 *SM(サド・マゾ)のサディズムと言うのは、
  彼の名前が語源と言われ、その為に、
  近年まで*不当な評価を受けていたが、
  昨今、サド文学の存在意義が再評価された。

 **装丁は横尾忠則