SF 文字&文章のグロテスク描写満載「マイクロワールド」

マイクル・クライトン
リチャード・プレストン著
酒井昭伸
2012年4月25日初版発行
早川書房
(ハヤカワ・ノヴェルズ)

ピーター・ジャンセンは生物学を専攻する大学院生。
マサチューセッツ州ケンブリッジの大学で、
仲間の六人の院生と共に先端研究にいそしんでいた。
そんな七人の科学者が、新薬開発を行なう
ベンチャー企業Nanigenマイクロテクノロジーズに
リクルートされる。ハワイの謎めいた研究所に
招かれたピーターたちは、そこでハイテクを応用した
革新的な装置〈テンソル・ジェネレーター〉の存在を知るが……
やがて、Nanigenが関わる犯罪を知ったピーターら七人は、
テンソル・ジェネレーター〉によって身体を百分の一サイズに
縮められ、ハワイの密林に放り込まれてしまった。
四十八時間以内にもとの大きさに戻らないと副作用から
死を招くらしい。牙をむく獰猛な大自然を前に、
若き科学者たちは専門知識のみを武器に
ジャングルから決死の脱出を図る――。
クライトンの死後パソコンから発見された未完の遺稿を、
練達のサイエンス・ライターが書き継いだ、
巨匠の真骨頂を示す最後の傑作スリラー!

獲物をかじる不気味な物音、闇にこだまするあやしい鳴き声、
鬱蒼たる森にうごめく奇怪な虫たち――。
そのただなかで、身長二センチほどのマイクロヒューマンに
されたピーター・ジャンセンら七人の大学院生は、
持てる知識を総動員して脱出を目指していた。
その一方、彼らの存在が目障りなNanigenの社長ヴィン・ドレイクは、
武装した刺客を〈テンソル・ジェネレーター〉で縮小して送り込む。
だが、同社周辺で続発する事件に不審を抱いた警察が動き始めた。
さらに、行方不明となった院生たちを気づかう謎の人物もまた、
Nanigenをひそかに監視していた。
ピーターら若き科学者たちは無事にスーパージャングルを切り抜け、
もとの身体に戻ることができるのか? 科学とフィクションを
巧みに融合させたエンターテインメントの最先端にして、
大自然への畏敬に満ちた巨匠のラスト・メッセージ!
(本書紹介文より抜粋)

私は20世紀から本書の著者のマイクル・クライトンの映画や小説を
読んできた。その中でとても印象に残る映画がある。
それは以前本ブログで紹介した、1973年のSF映画
エストワールドである。私は初めてこの映画を見たのは
小学生の時だか今でも好きな映画の一つである。
マイクル・クライトンの初監督作品で脚本もマイクル・クライトン
によって書かれている。

本書はマイクル・クライトンの未完の遺稿を他者が完成させたものだが
私としてはとても良作に思えた。
人間が2cm程度に縮小され、ハワイのジャングルで生き延びるために
昆虫や鳥などと戦うことになる。
中でもグロテスクなのは寄生蜂、狩り蜂で獲物の体内に
卵を産み付ける。やがて孵化した蜂の幼虫は獲物の体内から食べていく。
また漢方薬として有名な例のアレみたいな描写もある。
正式な名称は検索しないとならないから書くことが出来ない。
検索すればグロ画像が無数に出てくるから。

この寄生蜂の習性を私自身が目撃したのは昭和時代の小学生の頃で
その頃私は子供にありがちな昆虫に夢中だった。
今では考えられないことである。
匂いを放す角を出しながら威嚇し、捕獲されまいとする、
アゲハチョウの幼虫を捕獲し、缶に入れて飼育した。
(大人にはグロテスクな虫の画像が出てくるので検索は一切できない。
だから正確な名称などは判らない)
やがてサナギになり、子供だった、私はサナギからアゲハチョウに
なるのを楽しみにしていた。
さてそろそろサナギからアゲハチョウになったのではないかと子供の私が
缶を開けると心臓が止まるほど驚いた。
缶の中には極めてグロテスクな黄色(レモンと同色)の幼虫が数匹いたからだ。
たぶん4匹程度だったと思う。
私は驚いて近所の友人を呼ぶと黄色の幼虫を始末してもらったと思う。
私は友人を連れて部屋に戻ったとき、その黄色の幼虫が一列になって
カーペットの上を這っていた光景をおぼろげながらも今でも思い出す、
強烈な記憶である。グロ画像が出てくるのでその黄色の幼虫が
どんな種類の蜂なのかは一切検索が出来ない。
何故か大人になってからはあれほど夢中になった、
昆虫は極めてグロテスクなだけの存在に変わってしまった。
本書に登場する、大学院生は専攻が昆虫とかなので一般人よりは
そこまでグロく感じてはいない描写がある。本書を読む読者の私は
映像のグロではなく、文字、文章のグロテスクを味わうことになった。

蜂だけではなく蟻や蜘蛛などいろんな昆虫が出てくる。
虫で凶暴なのは雌であり、狩りや戦闘、産卵を担当している。
(人間で例えれば男よりも大型で、怖いおにいさんならぬ、怖いおねえさん)
雄は生殖しか役に立たないし、雌にとっては自分と生殖をした雄は
もう食べ物でしかなく、雄を食べる。
昆虫の世界でも雌を油断させ、あるいは貢ぎ物として餌を
雌に与える雄が存在する。生殖したいが為に。
昆虫や一部の魚では雌が雄よりも大型である。
雌の目的は子供を生み、子孫を残すこと、雄の目的は雌と生殖をすること。
これだけだ。雌(雄も)はそのためなら手段を選ばない。
昆虫は機械みたいなもので、感情はなく、反応だけで生きている。
そこには恐怖という感情はなく、DNAのプログラムだけで行動する。
昆虫の行動は攻撃と回避と捕食、生殖活動しかない。
昆虫には感情がない。
昆虫には同情も感謝も哀れみも喜びも悲しみも躊躇も後悔もない。
虫の詳しい習性や行動原理などを書きたいが、
検索しなくちゃならないので出来ない。
そこで検索すればグロな昆虫の画像が出てくるからだ。

本書の中では縮小された大学院生の男女にとって
昆虫はとても恐ろしい存在になる。
人間はただの食べ物、養分として存在する。
大学院生たちが昆虫の餌になっていくが、人間が
いくらマッチョでも身体を鍛えていても、
格闘技のプロでも昆虫には敵わない。

縮小された人間は昆虫にとって移動が出来る食べ物、
養分でしかない存在になる。
昆虫にとっては縮小された人間はただの餌でしかない。
大学院生たちが食べ物としてバッタかキリギリスを
食べるシーンがある。
バッタかキリギリスというあいまいな記述なのは
確認のために再度読みたくない為だ。
巨大な昆虫と戦う場面は楳図かずおの漫画「漂流教室」で
巨大な虫と戦う場面を彷彿させる。
小型化した人間にとって水は(表面張力の影響で)まるで
スライムみたいに粘つく。
小型化した人間は筋力が増強され空気抵抗のために
高所から落下しても怪我をすることがない。
小型化した人間はすぐに喉がかわくなどの記載がある。
芋虫だかなんだかの虫が呼吸する時の音の描写が気持ち悪い。
それは昆虫でも生物だから呼吸はするんだろうけど、
今まで昆虫が呼吸する音なんて想像したことも考えたこともないから。
まだ映画化はされてはないが、映画化がされたら是非見たいものだが、
やはり相当グロテスクな映画になるだろう。

Westworld (1973) Trailer #1 | Movieclips Classic Trailers
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/JoUWNBcBKkA?si=HgxNiC3hdncXDQOO

Westworld (1973) Movie Trailer
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/pmbYjVy9Xcg?si=OcQGnR-rhI3a2R8B

On Location with Westworld - 1973 - 
Behind the Scenes - High Quality
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/QuFzogv-nbs?si=QFW5T0l8TIs4DO_o

2024年1月17日追記
本記事に書いた昆虫や動物の生態、雄と雌の関係性に関し追記する。
以前、このチョウチンアンコウの雄と雌の関係には驚いたことがある。
子供の時、TVでアニメのみなしごハッチを少し見たことがあったが、
今はとてもアニメ化した昆虫さえもグロテスクでとても見られないし、
昆虫を擬人化したために、本来の昆虫の生態とは違ってしまっているので
見ていられない。蜂が卵から直接蜂になる描写があるし、
主人公のハッチが雌の蝶(女友達、彼女的存在?)と仲良くなるシーンがあるし、
雄のスズメバチや雄のカマキリがヤクザまがいで凶暴凶悪だし、
事実は雌のが大型で凶暴だとは思うし、昆虫と人間では全然違う生き物なのに、
擬人化すると無理が出てくるし、そこには整合性がなくなる。
昆虫や動物の世界では弱肉強食でしかなく、そこには人間界の利権にまみれた、
既得権の塊みたいな動物愛護団体にあるような、かわいそうとか生きる権利
とか同情、愛情とか哀れみとかは一切ない。
昆虫や動物には自分以外の昆虫や動物は自己のDNAを次世代に残すための餌、
道具、踏み台でしかない。(場合によっては人間も含む)

チョウチンアンコウの男は女に全てを捧げて逝く
メスに寄生するオスはやがてメスと一体化する
https://toyokeizai.net/articles/-/477011

寄生虫”扱い…「アンコウ」のオス、切ない生き方
 『the SOCIAL』傑作選(2018年5月9日放送より)
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/5dj1h9BNkKg?si=qf9IYYgjukxA6fDI

news.yahoo.co.jp