1974年8月7日にニューヨークのWTCの2つのタワーの間の
綱渡りに成功した、フランスのフィリップ・プティの
映画である。本人は現在も存命であり、
また本映画でも回想シーンがあり、絶対生存すると言う
事が予めに判ってはいるのだが、綱渡りのシーンでは
ドキドキしっぱなしであった。良く出来たものだと感心した。
映画なので事実とは異なる点もあるかとは思うが、
釘で足を刺すシーンがある。私も子供の頃に同じ経験をした。
あんな感じに木材に釘が刺さっており、それを踏んだ。
それは言葉では表現不可能な程の*激痛で、
今でも決して忘れる事は出来ない程だ。
言葉では表現出来ないということは、
同じ経験をした者しか決して判らないだろう。
足を怪我し、また本映画ではフィリップは寝ている
シーンは無いので、不眠だろうし、最悪の体調、
それに映画(リアルでも)には有りがちというか、
衣装を落としてしまうし。(8月とも言えども高所なら
寒いに違いないし、また風もある)
以前、本ブログでも紹介した、映画「127時間」でも
思った事だが、ナイフを落としてしまう・・・。
私なら、紐をつけるとかするんだが・・・。
まあ、それは置いておいても、実にスリリングで、
正に手に汗を握る映画。
綱渡りに成功した、フランスのフィリップ・プティの
映画である。本人は現在も存命であり、
また本映画でも回想シーンがあり、絶対生存すると言う
事が予めに判ってはいるのだが、綱渡りのシーンでは
ドキドキしっぱなしであった。良く出来たものだと感心した。
映画なので事実とは異なる点もあるかとは思うが、
釘で足を刺すシーンがある。私も子供の頃に同じ経験をした。
あんな感じに木材に釘が刺さっており、それを踏んだ。
それは言葉では表現不可能な程の*激痛で、
今でも決して忘れる事は出来ない程だ。
言葉では表現出来ないということは、
同じ経験をした者しか決して判らないだろう。
足を怪我し、また本映画ではフィリップは寝ている
シーンは無いので、不眠だろうし、最悪の体調、
それに映画(リアルでも)には有りがちというか、
衣装を落としてしまうし。(8月とも言えども高所なら
寒いに違いないし、また風もある)
以前、本ブログでも紹介した、映画「127時間」でも
思った事だが、ナイフを落としてしまう・・・。
私なら、紐をつけるとかするんだが・・・。
まあ、それは置いておいても、実にスリリングで、
正に手に汗を握る映画。
*激痛と言えば、ブログに腕を切断されるか、
今ここで死ぬか、どっちかを選べ
『シエラレオネの衝撃』を掲載してからというもの、
毎日欠かさず1年365日アクセスが有る。
色んな単語で検索してくるし、
またサイト経由でアクセスが有る。
「手、足の切断、痛み」等という
単語で検索してくるのも多いが、この検索の意味は
一体何だろうかと思わざるを得ない。
それは痛いか痛くないで言えば、
結論としては「痛い」に決まっているし、
また、その痛さは(過去にニュースにもなったが、
バイクで足を切断して気が付かない等の事例は例外としても)
ただの痛さではなく、(外科手術時に麻酔をしてからの切断は
別として)耐え難い「激痛」だと想像は出来るはずだが。
今ここで死ぬか、どっちかを選べ
『シエラレオネの衝撃』を掲載してからというもの、
毎日欠かさず1年365日アクセスが有る。
色んな単語で検索してくるし、
またサイト経由でアクセスが有る。
「手、足の切断、痛み」等という
単語で検索してくるのも多いが、この検索の意味は
一体何だろうかと思わざるを得ない。
それは痛いか痛くないで言えば、
結論としては「痛い」に決まっているし、
また、その痛さは(過去にニュースにもなったが、
バイクで足を切断して気が付かない等の事例は例外としても)
ただの痛さではなく、(外科手術時に麻酔をしてからの切断は
別として)耐え難い「激痛」だと想像は出来るはずだが。
私が一番興味を持っているのは人間であり、その人間の考え、
行動である、それはすなわち「人間」とは何かであるという
事である。検索の事例を鑑みても、多種多様な人間が、
日本に、または世界に居るもんだなと検索を見て、いつも思う。
同じ人間など、この世の中に人類が誕生してから一人として
存在せず、また未来永劫存在し得ないものである。
私が思うに、この世で絶対的なものは「死(老化・時間)」であり、
また、それに、もう一つ加えるとすれば、それは「同じ人間」は
絶対存在し得ないという事である。双子は似ているとは
よく言われるが、似ていると言っても、所詮は同一の人間ではない。
人間とは何て興味深いものだろうかと私はいつも思う。
我が人生を、今、何ぞやと総括するならば、
「文学」「美術」「歴史」「映画」「音楽」等を通し、
またリアルで人間とは何かを探求、追及したものであると
思わざるを得ない。
行動である、それはすなわち「人間」とは何かであるという
事である。検索の事例を鑑みても、多種多様な人間が、
日本に、または世界に居るもんだなと検索を見て、いつも思う。
同じ人間など、この世の中に人類が誕生してから一人として
存在せず、また未来永劫存在し得ないものである。
私が思うに、この世で絶対的なものは「死(老化・時間)」であり、
また、それに、もう一つ加えるとすれば、それは「同じ人間」は
絶対存在し得ないという事である。双子は似ているとは
よく言われるが、似ていると言っても、所詮は同一の人間ではない。
人間とは何て興味深いものだろうかと私はいつも思う。
我が人生を、今、何ぞやと総括するならば、
「文学」「美術」「歴史」「映画」「音楽」等を通し、
またリアルで人間とは何かを探求、追及したものであると
思わざるを得ない。