映画 『ディア・ウェンディ』

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2005年デンマーク・フランス・ドイツ・イギリス制作。
105分。(原題 Dear Wendy)

銃社会アメリカを舞台にした、銃を軸にした青春映画。
銃社会アメリカならではの映画である。
銃は弱者でも強者の格闘家にも、
真剣を持った有段者にも対抗出来る武器である。
どんなに身体を鍛えたとしても
銃を持った相手には敵わない。
(相手が子供もあっても無理な話だ)
銃というものが誕生(発明)してからというもの、
弱者であっても、格闘戦や銃器以外の鍛錬者という、
優位者にも対抗する事が出来、またそんな鍛錬も
必要なく、ただ引き金を引くだけで遠方から攻撃が
可能になった。人類の歴史(人類の戦争の歴史)を
根本から変え、文字通り、劇的な変化を与えた武器である。
本映画では、ルサンチマンを抱えた登場人物の青年達が
銃を持つことにより、今までの自分に自信を持つ事が
出来ない状況(自己否定)から劇的な(良い意味で)
変化を与えていく。(これで社会や他者に対し、
対等な関係になれる事に気づく)
銃を持つという事は銃を持たない者にとっては優位者になる。
それは力であり、また自信にもつながる。

世界一銃規制が厳しい我が国日本では、悪者だけが銃を持つ。
(勿論、法執行官やその他、銃の所持免許等を
与えられた者は別である)
それは銃を持たない一般市民からは悪者だけが
銃を持ち得る状況なので、様々な悲劇、
また多くの事件が現実に起こっている。
もし仮に自宅に銃を持った悪者が不法侵入したら、
一巻の終わりをも意味する事にも成り得る。
世界一銃規制に厳格な我が国の一般的な善良なる市民から
観察するならば、そこには「悪者だけが銃を持つ」という
ことに対しての大きな不安や恐れが存在する。
我が国で「悪者だけが銃を持つ」という事は、
蹂躙されるのは銃を持たない一般市民のみであるという現実がある。
銃社会への批判(デメリット)は「確か」に存在するが、
デメリットだけを近視眼的に提示するのではなく、
銃社会ではないからこそ、銃を持つ事が出来ない弱者には
とても不利な状況であり、銃社会ではないからこそ
(銃を持ち得ない)弱者には、デメリットしか存在しないと
思えてならない。

*世界情勢に置き換えて考えてみれば、
銃=核兵器と考えても良い。
何故先進国でもない小国でも核を保有するのか?
それは抑止力になるからである。
周辺の国や或いは世界への国々への抑止力になり、
うかつに自国への干渉をさせない為だし、
外交手段として大きなメリットを持つ為である。

Dear Wendy (2005) - Official Trailer HQ
(記事投稿時なら視聴可能)
https://youtu.be/D1Mh8wJOeg8