『ソマリア過激武装勢力、キリスト者子息2人の首はねる 』

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【CJC=東京】ソマリアの過激武装勢力『アルシャハーブ』が
子ども2人の首をはねた。
同国キリスト教指導者に関する情報提供を拒否したキリスト者
ムサ・モハンメド・ユスフ氏(55)の子息。
米宣教専門コンパス通信が7月1日報じた。
ユスフ氏は現在も拘束中という。
子息フセイン・ムサ・ユスフ(12)、アブディ・ラーマン・ムサ・ユスフ(11)、
アブドゥラヒ・ムサ・ユスフ(7)の3人は2月21日、
アルシャハブソマリアのキズマヨ郊外のヨンデイ村の自宅を
襲撃した際に拉致された。年長の2人はすぐに首をはねられ、
年下のアブドゥラヒさんは事態を知らせるためか釈放された。
(2009年07月06日 クリスチャントゥデイの記事から抜粋)

先日、この出来事が起こったが、続報は見当たらない。
ソマリアの過激武装勢力『アルシャハーブ』は
ソマリアで最も有力なイスラーム勢力と言われている。
彼らにも家族があり、当然妻や子供が居る。
彼らの子供はハーバード大ケンブリッジ大に進学し、
合法の稼業につく可能性は高いとは言えない。
子供の頃から彼らの生きる道は、
ほぼ既に決まっていると言っても過言でない。
彼らは子供の時からak47RPGが身近にあり、
いつも目にしているはずだ。
勿論、死体なども見慣れているはずだし、人の命の重みは
(先進国諸国とは違って)羽のように軽い。
映画「ブラックホーク・ダウン」を見て、判るように、
ソマリアは、よそ者にとっては居心地が良い場所とは決して言えない。

ウィキペディアによれば、ソマリア暫定連邦政府とそれを支援するエチオピア
アメリカ合衆国アフリカ連合などと対立しており、
ソマリア南部の都市キスマヨを支配するヒズブル・イスラーム (en)、
アルカイダエリトリアなどと交流があるとされている。
彼らの法は厳格であり、イスラム教に基づいた法体制を行なっており、
石打、鞭打ちや手足の切断や今回の様に、敵の異教徒には
首切りが行なわれている。イスラム教以外の者は、
すべて異教徒であり、敵である。イスラム教の過激武装勢力
子供にまで首切りを行なわせている。
(私が見たのは12歳位の男の子が成人の男の首を切ったビデオであった)
何故、大刀ではなく、わざわざ小型のナイフを使うのかはわからない。
わざと相手に苦しみを与えるためかも知れない。
敵には出来るだけ苦痛を与えるという考えかも知れない。
以前、日本人の青年が同じ様に*斬首された事件があった。
あの時、いろんな憶測が流れた。
日本人の優しさと無知で人道的に考える者が多いように感じた。
「何か朦朧としてように見えるので、薬物でも与えられているとか・・・」
出来るだけ苦痛なく殺されていったと考えたいのだろう。
しかし、あの日本の青年や同じ様に拘束され、殺されていった人々、
誰もが医学的な処置、苦痛を軽減させるような、
あらゆる処置は一切されていないと思う。
何故ならば、それでは刑罰にも見せしめにもならないからだ。
敵に対し、慈悲や優しさは無く、人道的な処置は一切為されない。
彼らにも当然慈悲や優しさや同情や哀れみの感情は有る。
しかしそれらは同類にだけに与えられる。
苦痛を軽減させるような行動は仲間や同じイスラム教徒や
同士だけに与えられるべきものであって、敵に対しては、
用いられることは考えられない。苦痛を軽減させる薬物などは
当然コストがかかるし、流通経路の問題もある。
そんなコストと手間暇をかけることは絶対敵にはしないだろう。
彼らはそういった人道的な考えは、まず考えたことすら無いだろう。
大刀で、一瞬で切断するのではなく、敵の首に小さなナイフを入れて、
少しづつ切っていく。それも首の後ろからではなく、
苦痛がより大きいと思われる、喉から切っていくのは、出来るだけ、
最大限に、敵に対し、苦痛を与えるためである。
先進国の現在の死刑制度は死が刑罰であって、死への過程にある、
苦痛そのものは刑罰とはみなされない傾向にあり、
出来るだけ人道的に苦しみを必要以上に与えないで
死に至らしめるというのが通常である。
しかし、それはイスラム教の過激武装勢力には当てはまらない。

先月の7月に、ウイグル自治区の暴動に関し、
アルジェリアアルカイダ系組織が中国人への報復を宣言したという
ニュースが流れたが、今のところ、やはり何もないようだ。
まあ、どっちもどっちだ。アルジェリアアルカイダ系組織は声明を
出してはみたものの、相手が一筋縄ではいかないし、また相手も巨大である。
アルカイダ系組織は世界中にあるが、中国人もまた世界中にいる。
とても引くようなタマでもないし、遠慮や謝罪したり、譲渡するようなタマでもない。
喧嘩の相手としては出来るだけ関わらない方が良い相手である。
アルカイダ系組織もなかなか手が出せない相手だろう。
まあ出来なくてもアリバイ的に声明は出しておくということもあるだろうし。

*ネットで斬首の話題が出る時、必ず出る論争がある。
「首を切ったら意識が有るのか無いのか?」
結論から言えば、頸動脈が切断された時点で大量の血液が流出、
血圧が低下し、目の前が暗くなり、そのまま意識を失い、
死亡に至るで、意識はないと思う。
しかし、この場合はすみやかに切断された場合のことで、
なかなか切断されない場合は、ある程度に時点までなら
明瞭な意識が有ると考えられる。
人体で一番酸素を使うのは脳であり、血圧の低下、
大量の出血により、酸素が脳に充分に達しなければ、
まず視覚、それに聴覚が失われ、意識が失われる。
例えどんな人間でも意識を保つことが不可能であると思う。
私は今まで何度も急な血圧低下による「立ちくらみ」を経験している。
あれは経験していないと判らないと思うが、目の前が暗くなってくる。
暗いというよりも白黒というか、灰色っぽく感じる。(否カラー)
視覚のみならず聴覚も失われる。
最近の経験では、親知らずを抜いた際の出血で、立ちくらみを経験した。
「立ちくらみじゃ違うだろ」と思うかも知れないが、プロセスや原理は全く同じ。
意識が有る証拠として身体が動いたと言う人がいるが、
それはただの痙攣に過ぎない。
何にせよ、殺人で事故であれ、予期せぬ出来事で死に至る場合がある。
今日事故で死んだ人もまさか昨日の時点では死ぬとは思わないはず。
今日という日は二度と来ない。日々日々我々は死にゆっくりと向かっている。
その日一日を出来るだけ大事に生きていこうと思う。
これは或る程度年齢を重ねないと実感できない感情である。
今、思わなくても年をとれば自然とそうなっていく。