洋古書『マガザン・デ・ドモワゼル(お嬢様のお店)』Ⅲa

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今回は、以前紹介した、フランス第二帝政期(1852-1870)の
月刊ファッション雑誌『マガザン・デ・ドモワゼル』(1854-1855)を紹介する。
挿絵画家は前回と同様、Anais Toudouze-Colin(1822-1899)
Anais Toudouzeは1822年にウクライナで生まれた。
彼女はパリに移った後、Desgrange氏と1844年頃に結婚した。
彼女は数多くのファッション雑誌に挿絵を描き、
ファッションプレートの署名には旧姓を用いた。

以前、ネットで「痕跡本」という記事を見つけたことがある。
愛知の古本屋が、元の持ち主の痕跡が残る古本を
極めて高額な、常識を遥かに超えた金額で売っているという記事だ。
大抵の古書コレクターは元の持ち主の痕跡を嫌がるものである。
私個人の今現在の価値観で言えば、フランスの古書については、
元の持ち主がどんな人物だったのか、知りたいので、
本の威厳を損なわない程度の書き込みやサインなどなら別に問題無い。
本書(ウブ出しの古書)の持ち主に関しては、推測の域を出ないが、
ビスケットなどを食べながら、外国文学の連載物を読んでいたとみえ、
ビスケットのような、小さな破片がページに挟まっていた。
髪の色はブロンドかも知れない。ブロンドの髪の毛が挟まっていた。
飽くまでも推測の域を出ない。
出版社の人の髪の毛かも知れないし、装丁者の髪の毛かも知れない。
まあ、確実に言えるのは、わざわざ年間購読費12フランを払うほど
金銭的に余裕があった家庭だという事。
雑誌をわざわざ装丁させるほど金銭に余裕がある家庭である事。
パリから離れた地方で、わざわざ定期購読するほど
ファッションに興味を持ち、また、それが許されるほどの家庭だという事。
また字が読め、雑誌を読むほど時間的にも余裕があったという事。
仕立て屋で、ドレスを注文するほど金銭的に余裕がある家庭である事。
またビスケットなどのお菓子を食べられる家庭である事。
1854年当時17歳と仮定するならば、1837年生まれになる。
70歳まで生きたと仮定しても第一次大戦を見る事無く死んでいる。
もし100歳まで生きたとしても第二次大戦を見る事無く死んでいる。
これらは確実に言える事だ。

上から二番目には仕立て屋にいる御婦人とお嬢様の挿絵である。
勿論、既製服はまだ一般的な存在ではない。

ちなみに1854年にはペリーが浦賀に来航し、日米和親条約が結ばれた。
架空の人物であるが、シャーロック・ホームズの誕生日は
1854年1月6日と言われており、作者のコナン・ドイルは1859年に誕生している。

2011年2月27日追記
オークションで、本ブログ記事の文章を丸写しした人がいるが、
当然ながら、勿論、記述に間違いが見られる。
「女性のための雑誌」と言う訳では適切ではない。
magasin=店、商店の意
magazine=雑誌、グラビア誌の意
(ちなみの日本語でも使われる、boutiqueはmagasinよりも
小規模の店舗の意である)
であるので、お嬢様、或いは御令嬢のお店と訳すのが適切だと思う。
本ブログ記事の文章を丸写しでオークションに出品されている、
この方は、イギリスが大好きな様で、英語脳なので、
何でも英語的に考えてしまい、magasinを雑誌と思い込んだ様だが、
上記にある通り、訳としては適切とは言えない。
人生は一生勉強である。学校の勉強のみが勉強に非ず。
英語の語源もフランスからであり、欧州文化の基礎は全てフランスにある。

まあ、それは良いとしても、2年合本ですと書かれているが、
全380ページ 厚み約3.2cmという事からして、
これは2年分で無く、1年分の合本に過ぎない。
大抵は1年毎に合本される。たまに2年分の合本も
無くはないのだが、現在残っているもので、2年分の合本は
1年分の合本に比べて、本の重量もあり、
やはり本に負荷がかかるので、保存状態は良いものは稀。
この方はイギリスが大好きなようだが、イギリスのファッションに
ついては何も書くことすらない。
今現在もっともオシャレで、高度に洗練された国は
我が国日本であるが、19世紀、世界で最も服装が洗練され、
世界が手本にしたのは、イギリスではなく、フランスに他ならない。
それは刊行されたファッション雑誌の刊行数からも、それが判る。
イギリス、或いはアメリカでも、19世紀にはファッション雑誌の刊行は
されているが、印刷技術もフランスより劣るし、また、その流行も
自ら何も発信する事が無く、フランスからもたらされものである。