雑記 『気谷誠の蔵書がパリで競売される』

昨年9月22日に病死した美術史家、気谷(きたに)誠さん
(享年54)が集めたフランスの古書が18日、パリの競売会社アルドで
競売にかけられる。仲介した田村書店(東京・神保町)によると、
海外で日本人の個人蔵書が単独で競売されるのは初めてという。
気谷さんは著書『愛書家のベル・エポック』(図書出版社)に、
愛書家の生涯は「死後に行われる盛大な蔵書売立(競売)によって幕を下ろす」と
書いていた。フランスの近代詩人、ボードレールに心酔し、
同時代の書物を研究した日本人愛書家の生前の夢がパリでフィナーレを迎える。
蔵書にはシャルル・メリヨンの銅版画「死体公示所」(1854年)のほか、
文庫など小型本の起源といわれるダンテの『神曲』(1502年)など、
稀覯(きこう)本が多数含まれる。アール・ヌーボーの代表的装丁家
マリユス=ミシェルの手になるボードレール悪の華』初版本(1857年)は、
仮とじで出版されたものを持ち主が特別に装丁させた本で、
2万ユーロ(約262万円)の評価額がついている。
とくに注目されるのは、ルネサンスのフランス人愛書家、
ジャン・グロリエ旧蔵本の『アンブロシウス著作集』(1538年)。
幾何学文様の金箔(きんぱく)押しが施された彼の蔵書は
「グロリエ装丁本」と呼ばれ、世界中の愛書家が憧(あこが)れる一品だ。
約600冊が確認されているが、多くは欧米の図書館に収まり、
市場に出るのはまれだ。出品されるのは西洋版画、一般書、
書誌学関係書など244品目。
気谷さんは石川県出身。図書館勤務のかたわら、美術史、
書物文化史を研究、美術や書物にかかわる著作を発表してきた。
西洋古書は海外の古書店から取り寄せた目録で買うことが多かった。
目録のわずかな情報から、良質の美しいこしらえの本を探すには、
膨大な知識の積み重ねが必要だったという。
昨年夏に肝臓がんと診断され、その直後から身辺整理を始めた。
自身のブログ「ビブリオテカ・グラフィカ」には、愛車のバイク4台に続き、
次々となじみの古書店を呼んで書庫整理を依頼した日々を書いている。
貴重書庫にあった西洋古書については、
収集を始めたときからフランスでの競売を望んでいたという。
友人で指月社代表の大家利夫さんは、フランスの優れた書籍鑑定家によって
競売にかけられることについて「書物人としてこの上ない名誉。
気谷さんが生涯をかけて愛した書物が評価されたと思う」と語る。
鹿島茂・明治大教授(仏文学)の話 ボードレール関連書を中心に、
挿絵技法、書誌学などいずれも粒ぞろいのコレクションだ。
フランスではこうした稀覯本への関心が高く、
日本人が美術品を愛(め)でる気持ちと共通する。
経済的には厳しい時期だが、時を経ても価値は変わらないものであり、
収集家たちが注目するのではないか。
毎日新聞 2009年4月14日 東京夕刊)

4月18日に、日本を代表する、洋古書収集家・愛書家である、
気谷誠の蔵書がパリで競売されるニュースです。
気谷誠のブログを読み、これらの蔵書はどうなるのだろうか、
と思っていたが、なるほどパリで競売にかけられるのか。
それはとてもいいことだ。気谷誠もきっと喜ぶことでしょう。
「経済的には厳しい時期」と書いているが、
まあ、この辺のコレクションを買う層には、
今回の経済不況など元から関係ないと思う。
向こうの裕福層は日本とは比較出来ない。レベルが違う。
ダイムラークライスラーマイバッハが売れない日は無い。
どんな不況と巷で言われようが、マイバッハを買う層は存在する。
別に世界の全部の人間が不況で困っている訳ではない。
ビル・ゲイツも全く困っていないだろう)
不況で困っている人が存在するということは
不況だからこそ困っていない人も必ず存在する。
不況だからこそ、儲けている奴が必ずどこかに存在する。
不況だからこそ大金を稼いでいる奴が絶対存在する。
金というのは、一定である。
誰かが大学受験に失敗して、入学出来ないならば、
誰かが入学試験に合格しており、入学出来る訳だ。
全員、不合格になった訳ではない。
それと同様、誰かの金が100あって、不況で、
その金が80に減ったとしても、その減った20の金は
どこかに消滅してしまうのではない。
その20の金は誰かの懐に吸い込まれただけのこと。
ただ、儲けている奴は、「不況さまさま」と言わないだけの事。

「膨大な知識の積み重ねが必要だったという」
まあ、何にしても知識が無ければ、物は買えない。
別に古書だけの問題ではない。
知識が無くば、結局、回りまわって自分が困るだけの話だ。
知識と金は邪魔にはならない。
いつから新聞に振り仮名を添えるようになったのか。
戦前の日本のようだ。
それは余計なおせっかいにも感じる。
判らないまま、そのまま死ぬまで放置する奴がいる一方、
知的好奇心が旺盛な奴は、いちいち人から言われなくとも
自分で調べるものだ。