ドイツ映画49 『エデンへの道(Der Weg nach Eden)』

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ハンガリーの首都ブダペストに住むケシェリュー・ヤノーシュは、
愛する家族を持った善良な夫であり父である。
一見ごく普通な彼の仕事は、一日に六体の死体を解剖すること。
この映画は、ハンガリーで最も認められた
解剖医師の一人である彼の日常を、彼自身のモノローグで
淡々と記録した、極めて異色なドキュメンタリーである。
シェリューが解剖する遺体の大半はホスピスから
運ばれる老人たち。
彼は自分の死を想像しながら彼らにメスを入れる。
実際の解剖の様子が克明に映し出されるとともに、
キャメラは死者を敬う彼の姿や、解剖医師としての
彼の誇りと厳格な信念、家庭人としての
彼の日常を丹念に描いてゆく。
常に死者と向かい合ってきた者の、死と生に対する揺るぎない、
しかしどこかはかない視線、終末医療への辛辣な批評が、
目の眩むような驚きと静かな感動をもって、
死を直視し難い現代の意識下に響く。
監督・脚本のロバート・エイドリアン・ペヨは'64年ルーマニア生まれ。
長編第4作となる本作品で
'96年モントリオール国際映画祭ベストドキュメンタリー賞などを受賞。
1995年ドイツ  86分 監督ロバート・エイドリアン・ペヨ
(本映画紹介文より抜粋)

今回紹介するのは、ドイツ映画 『エデンへの道(Der Weg nach Eden)』
である。
紹介文に有る様に、一解剖医の日常を記録した、
ドキュメンタリー映画である。
死は誰にでも平等に訪れる。
誰でも死を免れた者はいない。
それは生きている者の宿命である。
いずれ誰でも経験する死をこの映画は淡々と記録している。
今、日本社会では死はタブーであり、巧妙に、
また必要以上に隠蔽されている。
しかし、この映画はそんな死を堂々と我々に提示する。
死は遠くにあるものでもない。
いつでも我々の身近に転がっているものだ。
ただ、それを巧妙に隠蔽されているだけに過ぎない。
死が巧妙に隠蔽された社会に生きる、我々が見るべき映画だと思う。