読書「伊藤晴雨 自画自伝」

伊藤晴雨 自画自伝
伊藤晴雨
福富太郎
新潮社
P236
1996年12月20日発行

夢二のモデル「お葉」と暮らし、
人気女優・栗島すみ子を縛り、果ては芳年
「奥州安達原一つ家」絵の謎を解くために、
身重の妻を逆さ吊りの実験台に…幾度かの発禁処分、
拘留などで巷間の話題をさらった鬼才が自らの数奇な
半生を書き綴った挿絵入り私家版自叙伝を初公開!
“責め絵”の分野で究極の女性美を描き続けた
鬼才が綴る数奇な半生。単行本未収録の自叙伝に
「私の伊藤晴雨探究」福富太郎著ほかを収録。
(本書紹介文より抜粋)

責めや縛り、SMなどの行為には興味がないが、
伊藤晴雨が描く日本画の技法を用いた、彼独特の
妖艶な絵には興味がある。
そのため、伊藤晴雨はどんな人だったのかを
知っておきたいと思い、本書を買ってみた。
伊藤晴雨の生き方に関しては団鬼六の「伊藤晴雨ものがたり」や
斎藤夜居の「伝奇・伊藤晴雨」があるが、昭和のキャバレー王で
美術品コレクターの福富太郎が関わっている、本書を読むことにした。

福富太郎は既に故人だか戦後キャバレーのボーイなどをし、
昭和のキャバレー王と呼ばれるほど成功した人物。
(戦後、衣食住が足りてくると本能は性欲へ向かった)
彼が絵画をコレクションを始めたのはまだ雇われでキャバレーで
働いていた若い時からである。この頃はまだ今よりは都内などの土地、
日本画、錦絵、美術品などが安かった。
特にこの時代はまだ評価されない、その価値をまだ認識されてない、
絵画や美術品などは今よりは入手しやすく、現存数も多く、
また低価格だった。そこに福富太郎は目をつけた。

福富太郎伊藤晴雨の作品を集め始めたのはまだ伊藤晴雨
存命で、福富太郎は本書で書いているが、伊藤晴雨の絵を
集め始めたのは伊藤晴雨の死の半年前の頃。
その頃はまだカストリ雑誌に携わった人物も存命で
今よりは格段に価格的にもまた現存する作品数の多さでも
収集しやすかったと推測される。
私は伊藤晴雨だけではなく、福富太郎の生き方、福富太郎
美術コレクションにも私は興味を持っている。
福富太郎は失敗もあるとは聞くがなかなかの審美眼を持ち、
良いコレクションを持っていた。
それは現存する、福富太郎の美術コレクションを見れば明確に判る。

古書も同じだが、美術品も目利きや審美眼、その収集を学ぶ場所、
施設や学校なんてない。人慣れという言葉があるが、それは古書、
美術品も同じでどれだけ大量の、膨大な数を見てきたかに限る。
(良品だけではなくも悪品も含めて)
学者や研究者とコレクターが違うのはコレクターは身銭を切って
自分の金で買うという明確な差がある。ゲームの中で殴られるのと
現実世界で殴られるのは明確に違う。真剣度も違う。痛さが違う。
学者や研究者も真剣だと思うがコレクターはその真剣度には
自分の金銭をかけているのだから、その失敗した時の痛手、
経済的な損失もあるのでその真剣さも根本からまったく違う。

福富太郎が本書に書いた、私の伊藤晴雨探究のP41には京橋ビヤホール
伊藤晴雨石川啄木と会ったという逸話を紹介している。
石川啄木は毎度金が無く泣き言を言ったような事が書かれているが、
啄木は妻子を故郷に残し、単身で上京し、給与を浅草などの悪所通いや
酒宴などの豪遊で短期間で使い切る、放蕩者で有名である。

あとは月岡芳年の「奥州安達がはらひとつ家の図(1885)」に
まつわる有名な話、伊藤晴雨芳年の弟子の新井芳宗との会話で
伊藤晴雨の妊娠した妻を逆さ吊りにした写真を、芳宗が「此の写真を
師匠が見たらどんなに喜ぶだろう」と激賞した話。

伊藤晴雨が半生を語った、自画自伝では彼が描いた絵も交えて
彼が今までどんな生き方をしたのかを幼年期から書いている。
彼は子供の頃から、読書家であったとその晴雨の文章からも判る。
あとは身内の弟から見た、晴雨を語る話。娘から見た、晴雨を
語る話が収録されている。
本書を読んで少しだけだが伊藤晴雨がどんな人で、どんな生き方を
してきたのかがほんのりと判ったような気がした。
白黒やカラーの絵、白黒写真がサイズは小さいが載せられている。