映画『ぼくとアールと彼女のさよなら』

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死にゆく人に果たしてどんな言葉をかけるのか?
言葉は時には無意味でもあり、
また最悪であり、また残酷なものでもある。
沈黙の方がまだマシだ!

2015年アメリカ制作。105分。
(原題 Me and Earl and the Dying Girl)

良く有りがちではない、コメディ風味の青春映画。
俺が子供の頃良くあった、愛する人が難病になって
死んでしまうパターン系の映画である。
私は映画を子供の頃から存在したが、
そんなものは今まで見た記憶が
一度もないような気がする。
そんな有りがちな洋画や邦画なんて、
お涙頂戴ばかりであり、予定調和満載であり、
見ても意味がないと感じたからだ。
どうせ結局は死ぬんだろ、どうせ、どうせ、
どうせな・・・と思い、見ることはなく、
特に私の少年期にはそんな当時のアイドル
=今では俺よりもGGE化かOYAJI化した輩が
やっていた映画である。

しかし、今回、本映画を見てみることにした。
まあ、そんな映画は見たことがないので、
比較は出来はしないが、自分は良作と感じた。
主人公の高校生のグレッグと白血病にかかった
同高校のレイチェルはキスさえもせずに
レイチェルが最後には死亡する。
そこで映画はまだ終わらず、意外性があった。
伏線があり、ハサミマニアかと思うほど、
壁にハサミがあり、レイチェルが死ぬ前に、
グレッグの為に大学入学案内の本に、
ハサミでジオラマを作っていた事、
またグレックの為に、大学へ手紙を書いていた事等
映画にも出てきた言葉だが、
「人が死んでも、その人から学ぶことが出来る」
そのような言葉だったとは思うが、
グレックも、また本映画を見た人も、
レイチェルの人生、行動から何かをきっと学ぶ事だろう。

それは決して言葉ではない。ただの言葉ではないのだ。
死んでいく人にかける言葉ほど(馬鹿でもあるまいし)
そんなもの、建前か、ただの哀れみとしか
(発言した本人はどんな気持ちであれ)
死にゆく人には結局は、ただの言葉の羅列でなく、
そんな言葉で、病気が治ることでもないし、
また自分が馬鹿にされたように感じるだけだ。
発言した人が、死ぬ程の難病を治してくれる訳でもなく、
また、その言葉の代わりに死んでくれる訳でもあるまいし、
死にゆく人への言葉なんて、結局は何もありはしないのだ。
(自分がもし死にゆく人であり、「きっと助かる」とか
「絶対死なない」と言われ、それを完全に信じるのか?
確実に死ぬと判り切っている様な病状ですらも・・・)
有ると思うのは嘘つきか、偽善者だと思う。
言葉というものは確かに有効な時もあるかも
知れないが、逆に言えば、無力でもある。
言葉なんかよりも、その人に何を与えるか、
または何が出来るのかが重要であると思う。

ME AND EARL AND THE DYING GIRL: Official HD Trailer
(記事投稿時には視聴可能)
https://youtu.be/2qfmAllbYC8