まず結果があってそれから原因がつくられる 映画『インセプション』

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2010年アメリカ制作。148分(原題: Inception)
本映画は人が睡眠時に見る夢を題材にした映画である。
夢とは何と壮大な架空の世界なのだろう。
本棚を見れば、その人が判ると言われるが、
どんな夢をその人が構築出来たのかを知れば、
その人物がどれだけの人物がおのずと明らかになるだろう。
我々が見る夢は、今まで生きてきた現実世界の緻密な
記憶によって、全てが構築されている。
経験しない事、見た事がないものは夢としては構築出来ず、
映像化は出来ない。
もし出来ても、それはとても稚拙で不安定なものになるはず。
女の局部をまだ見ぬ男は、夢の中で裸の女が出てきたとしても
その部分は曖昧になるか、また、それは男の物に置き換えられる。
銃を撃った事が無い者は、夢の中で、銃を構える事が出来たとしても
銃を発射出来ないか、また銃の威力は豆鉄砲以下になる、
勿論、銃の反動は殆ど感じないだろう。
車の運転にしてもしかり、運転をした事ない者は、
リアルな体感で持って、車を操縦する事も出来ず、
またエンジンの振動も夢の中では感じる事はない。
ただ、車の形は自然と変形する事が出来る、
もし、その夢を見る者が明晰夢だと判断し、
夢の中では、何でも出来るという信念を持った場合には。
夢というものを考え、明晰夢という概念を理解した場合、
夢の中で、これは夢なのだと自覚がしやすいだろう。
人により、夢というものは差異があり、白黒の夢を見る者、
私みたいに、現実世界と同様に、カラーであり、
痛み等の五感を認識出来る夢を見る者、それは様々である。
私にとって、夢は現実世界となんら変化は感じられない。
ただ、現実では、起こりえない奇妙な出来事が起きる、
架空の世界なのだ。

以前、こんな話を聞いた事がある。
例えば、睡眠中に起きたとしよう。
原因は、なんでもいい。とにかく刺激である。
飼い猫が身体に乗ったとかでもいい。
とにかく、刺激を受けて、起床したとしよう。
夢の中では、(打撃でも何でもいいが)
何らかの刺激を受け、そして目が覚める。
まず、原因があって、それで起きる訳である。
通常はこう考えるだろう。原因があって、結果だと。
しかし、夢はこの様に整合性が作られる。
最初、飼い猫が身体に乗り、
その刺激によって、目が覚める瞬間、1秒か、
或いは一秒に満たない、極めて短い時間に
夢の中で、原因となる、対象物がつくられる。
例えば、自分に殴りかかる人物が
夢の中では、創造され、それが殴ることにより、
目が覚めたと整合性が出来る訳だ。
寝ている時、突然に刺激を事前に予想が出来る訳が無く、
既に起きてしまった刺激、起床しつつある身体に対し、
極めて短い時間で、夢との整合性が作られる。
これを考えても判る様に、夢の中での
時間は現実世界と同様の時間ではなく、
現実では、5分で有ったとしても
夢の中では、何時間という時間が経過している。
夢とはとても不安定なもので、睡眠中の刺激によって、
夢の内容が簡単に変わってしまう。
また現実の刺激の整合性も有り、夢の中で、トイレに行く夢は、
現実でも尿意を催している事が多い。

本映画の着想はとても面白く、また構想も素晴らしい。
とても邦画には出来ない偉業だろう。
まず、邦画とは発想からして違う。
どうして邦画は、予想が簡単に出来てしまう程
チャチで稚拙なのだろう。
着想も構想も何もかもが小さい。
邦画制作者の見る夢は、どんなに味気ないのがか、
手に取るように判る。
自分の夢の制作者、構想者、監督は自分自身だ。
自分の見る夢とは自分の記憶の投影である。

本映画にマリオン・コティヤールが出演し、
夢を覚ます時の刺激のアイテムに
エディット・ピアフの曲が使われている。