雑記 事実ハ小説ヨリ奇ナリ 『怪文書』

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今回はネットで見つけた、怪文書を紹介しよう。
普段なら、こんなものは紹介等はしない。
しかし余りにも、その文書は異質、異常であり、
とても心に刻み込まれたので、ここで紹介をしたいと思う。
有名な怪文書なので、ご存知の方も多いと思う。

加茂前ゆきちゃん事件。
1991年3月15日、加茂前ゆきちゃん(当時8歳)が、
三重県四日市市内の自宅を出たまま所在不明になった事件である。
その行方不明から3年後、自宅に届いた怪文書が下である。
極めて異常性を感じさせ、底知れぬ不気味さを秘めている。
3枚の紙に、まず鉛筆で下書きしており、
その上からボールペンでなぞっている。
漢字、ひらがな、カタカナが混在している、たどたどしい筆跡の文章。
私は、この文章を読んで(誇張では無く)背筋がゾーッとした。
(以下全文。なお文中の○は赤インクで書かれている)

ミゆキサンにツイテ
 ミユキ カアイソウ カアイソウ
 おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ
 コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ
                トオモイマス

 股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ
 シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ
 ニツトめた
 イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ
 裏口ニ立ツヨウニナッタ
 イまハー ケータショーノチカクデ
 四ツアシヲアヤツツテイル

 ツギニ
 スズカケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
 アヤメ一ッパイノ部ヤデ コーヒーヲ飲ミナ
 ガラ、ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ
 アサヤントオもう。
 ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きく
 ワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。

 モウ股割レハ人ヲコえて、一匹のメス
 にナッテイタ。
 感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動い
 タ。ソレガ大きな事件トハシラズニ、又カム
 チャッカノハクセツノ冷タサモシラズニ、ケッカハ
 ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル
 モウ春、三回迎エタコトニナル
 サカイノ クスリヤの居たトコロデハナイカ
 トオモウ

○ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ
 平和希求トハチガウ
 ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ
 ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、広い
 ダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル

 股割れは平気なそぶり
 時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガス
 コトモアル、一片の良心ガアル、罪悪ヲ
 カンズルニヂカイナイ
 ソレヲ忘レタイタメニ股を割ってクレル
 オスヲ探しツヅケルマイニチ

 股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタ
 コトハマチガイナイ
 確証ヲ?ムマデ捜査機官に言フナ
 キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト
 事件ガ大キイノデ、決シテ
 イソグテバナイトオモウ。
○ヤツザキニモシテヤリタイ
 股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ
○我ガ股ヲ割ルトキハ命ガケ
 コレガ人ダ コノトキガ女ノ一番
 トホトイトキダ

この文を読んでみると、誇張では無しに、
底知れない、気味の悪さを感じる。
故意に、この不気味さ、不可解さ、不条理さを
演出していると思わざるを得ない。
マン・レイの作品
《解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい》
(この作品のタイトルは、フランスの詩人ロートレアモンの詩句からの引用)
を思わせる様に、とてもシュールである。
シュールレアリズムの自動記述(オートマティズム)を思わせる。
私が思うには、捜査の撹乱か、
或いは世間を騒がし喜ぶ愉快犯であり、
わざとこの様な文章を書いているのだと思う。
でなければ、この様な表現をする訳がない。
この暗号の様な、回りくどい表現は普通はしない。
ネット上では、狂人という見方も有るには有る。
しかし、ここまで徹底的に不整合性を持ち得るものだろうか。

例えば、この様な表現が有る。
「シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ ニツトめた」

シュンガ
オモテノハンタイ
パーラポウ・・・・

或いは、
「スズカケのケヲ蹴落シテ、荷の向側のトコロ
アヤメ一ッパイノ部ヤデ」

荷の向側のトコロ
アヤメ一ッパイノ部ヤデ・・・・

(書いていくとキリが無いので、この辺でやめます)
”裏”とは書かずに、
回りくどく、”オモテノハンタイ”
それに”アヤメ一ッパイノ部ヤデ”の”一ッパイ”
”イ” か ”い”と書けばいいものを
わざわざ”一ッパイ”と書いている。
わざと稚拙にし、不気味さを感じる様に、
また混乱させるかの様に書いている。

”ミゆキサンにツイテ”

今度は、この箇所を例にして考えてみる。
”ミゆキ”という部分は、ひらがなとカタカナが混在している。
普通ならば、どちらかに統一するか、
誇張すべき部分だけをカタカナにするとか、
何かしらの整合性が見られるはずであるが、
ここには整合性は無く、無秩序に、混在して書かれている。

”ミユキ カアイソウ カアイソウ”
”ミユキヲハッカンジゴクニオトシタノデアル”
”ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ”
”股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ”

ここでは、”ミゆキ”では無く、「ミユキ」となっている。
この箇所では、カタカナで統一している。

”コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ”
”股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ”
”モウ股割レハ人ヲコえて、一匹のメス”
”股割れは平気なそぶり”
”股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタ”
”股割レ。ダ。ミユキガカアイソウ”

この六箇所の同じ語句の「股割れ」を例にしてみる。
通常は、どれかに統一しようと思うものである。
また、自然と統一されて(しまいがち)しまうものである。
それは知能が有るならば、必然であると思う。
しかし同じ語句でも(故意にやっているとしか考えられない)
不整合性を感じさせる。
これは不気味さを演出しようしている意図が感じられる。
これは故意に、この様な表現、語句の選び方をしていると思う。
また漢字の画数に関しても、画数が少なく、
比較的書くのが易しい漢字であっても、
ひらがなやカタカナで書かれていたり、
また逆に画数が多い、難しい漢字を使っていたり、
とても自然な文章とは言えない。
ネット上の見解においては、狂人という節も有る様だが、
いくら狂人でも、この辺は統一するのではないかと思う。
(だから狂人なんだという意見も有るかも知れないが・・・)
しかし、ここまで”不整合”が目立つと逆に故意に
この様な文章を作成していると考えざるを得ないのである。
(余りにも無秩序過ぎてしまい、かえって不自然に感じる)
この独特の表現は、故意に書いているとしか考えられない。
一見、文を書き慣れていない様に思え、
稚拙さをも感じさせるかも知れない。
そう感じる方もいるかと思う。しかし、それは違うと思う。
これは念入りに、また練りに練りあげ、推敲に推敲を重ね、
書き綴った文であり、文章を相当書き慣れており、
また、相当な数の本を読破した者の手によるものだと推測する。

結論として、この文章自体は何の意味も持っていないと思う。
つまり犯人やその関係者によって書かれたものではなく、
(全く関係の無い第三者が)面白がって(いたずら)、
また世間を混乱させる目的で書いたものだと思う。

*ネット上で公開されている文章のみで
考察したので、判るのはここまで。
原文を実際に見れば、もっと色んな事が判ると思う。

**”パーラポウ”
この「パーラポウ」に関しては色々と憶測されているが、
これは単純で難しくない。ポウは某人物の「某」のことだと思う。
最近は某なんぞ使われる事は滅多に無いので、思い付きにくいが、
某で間違いないだろう。
「パーラ」はパチンコパーラーとかフルーツパーラーの「パーラー」のこと。
つまり「某パーラ」ということになると思う。
ただ、某を「ポウ」とし、順序を逆にしただけのこと。

記事投稿2007/8/7(火) 午後 8:24