作家 西村寿行の死 (221~226冊目)

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2007年8月23日、作家の西村寿行(76歳)が
肝不全の為、死去というニュースを聞いたのは、
2007年8月26日の事である。
西村寿行は、男の欲望の体現化に成功した作家だと思う。
西村寿行の作品との出会いは、
私が多感な思春期であった、15~17歳頃である。
一番初めに読んだ、西村寿行の作品は『滅びの笛』だと思う。
これが15歳の頃で、それから少し間を得、17歳の頃、
再度、西村寿行の作品を貪る様に読破して行った。
私は中学生の頃、大藪春彦を大変好んだ。
西村寿行の作品も大藪春彦と同系列の匂いがし、
西村寿行の作品群に触れた時、私は宝の山を
見つけた様な気持ちで狂喜乱舞したのであった。
そして私は1980年代後半辺りまで、
西村寿行の作品を読み続けた。
それは西村寿行の黄金期の終わりと一致する。
西村寿行の秀作が相次いで発表された時期は
1970年代後半であり、この時期こそ西村寿行作品の
本質を知る事が出来ると思う。
私がとても印象に残った作品、好きな作品は沢山有る。
しかし、私は今回敢えて、この六作品を挙げてみたいと思う。

『悪霊の棲む日々』徳間書店 (1977年)
日本の小説には珍しくバッドエンドであり、
とても後味が悪い作品で、物語は、陰惨極まりない
終わり方をしている。
それがとても珍しく感じて、印象に残っている。
これほど絶望的な状況も珍しいのではないかと思う。

『怒りの白き都』 徳間書店 (1978年)
虐げられた男達が、正に男の欲望を
体現化した様な理想郷を作る話である。
男、そして、女の本質がよく描かれている。
人間の本質というべきだろうか。
西村寿行の作品は、人の闘いが描かれる。
男対男、女対女・・・。
しかし、この作品では男と女の死闘を描いている。
どっちが支配するか、どっちが支配されるか・・・。

『魔の牙』 徳間書店 (1977年)
極限状態の置かれた人間を
西村寿行は好んで描いている。
この作品は、正に極限状態の置かれた
人間を描いている。
男はどう生きるのか?
女はどう生きるのか?
それを描いて見せた作品である。
緊迫感の有る描写は卓越している。

『回帰線に吼ゆ』 角川書店 (1978年)
これも人間の極限状態を描いた作品である。
脱走した囚人が、押し入った家の住人を
見せしめに殺す描写等には度胆を抜かれた。
ここまで無残な描写も珍しい。

『わが魂、久遠の闇に』 講談社 (1978年)
西村寿行の作品は復讐物も多い。
これもその一つであり、カンニバリズムを扱っている。
妻と娘が乗った飛行機が墜落、
飛行機の乗客達は、主人公の男の妻と娘を
生きるが為に食らう・・・。
真相を知った主人公が妻と娘を食らった者達に
復讐をする物語である。

『症候群』 光文社 (1982年)
この短編集は評価が高い。
この短編集のタイトルとなっている、
同名の短編『症候群』の評価は
とても高く、この作品を読む人は
一生忘れる事は無いだろう。

私の好きな作家に西村望がいる。
西村望西村寿行は兄弟である。
両人とも、実に人間の本質を描くのが上手い。
人とは何か?男とは何か?女とは何か?
それらを作品を通じ、我々に提示している。
これらの業績は偉大としか言いようが無い。
両者の作品とも、(高尚と言われている)
純文学とは言えない。
大衆小説として、謗りさえも受けている。
しかし、私は彼らに絶大なる賛辞を送りたい。
ノーベル文学賞を授与された作品だけが
良い作品だとは決して思わない。
文学というのは、人間を描くものであると思っている。
そして、人に対し、感銘を与えるものだと思っている。
西村望西村寿行の両作品は、
それらに見事に合致している。
ご冥福をお祈り致します。