映画62『Marie Antoinette』(2006)

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今回はアメリカ映画の『Marie Antoinette』(2006)を紹介。
フランス革命で処刑された、マリー・アントワネット
女流監督のソフィア・コッポラが描いた映画である。
アメリカ映画なので、当然ながら(悲しい事だが)
使用言語は英語である。
18世紀のオーストリア皇帝の娘、フランス王妃が
英語を話すなんて有り得ない設定である。
まあ映画だから、仕方がないと言えば、そうかも知れない。
この事に不満を持った人は、私だけでは無く
アメリカ人を除く)世界中で、沢山居る様だ。
この滑稽さをもし例えるとするならば、
まるでシャーロック・ホームズの映画で、
ホームズが英語以外の言語で会話する様なものである。
中国語、フランス語、ロシア語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語・・・。
そんなホームズが想像出来るだろうか。
これ程滑稽なホームズ像は有るだろうか。
又ホームズを、ジェームス・ボンドに置き換えても良いだろう。
ホームズも007も共に英語を話すイメージが有る。
(逆に言えば彼らは英語しか話さないイメージしか無い)
それを根底から覆すというのは滑稽でしかないだろう。

いかにも現在的な感覚、それも女特有の感覚だけで
構成された映画である。しかし監督の狙いは判る。
マリー・アントワネットも一人の普通の女であり、普通の少女であった・・・」
多分、このような事を表現したかったと思う。
しかし、それを言うならば、誰でも当てはまる。
結果としてマリー・アントワネットは、今現在、
決して良いとは言えない評価を、既に強固に確立してしまった。
(それを覆すのは容易な事ではない)
それを言うならば、アドルフ・ヒトラーも、多感な思春期や
希望や夢にあふれた青春期もきっと有っただろう。
(誰にでも、どんな人間であれ青春という時期は確実に存在する)
別段、彼は最初から「怪物」と称されるような人物だった訳ではない。

それでは何故、そんな事になったのか。
どんな紆余曲折が有ったにせよ、歴史とは結局、
結果だけが淡々記されるのみだからである。
歴史とは結果の集大成に過ぎない。
原因と経緯等多岐な視点、観点から記せば、
それは膨大な記録になってしまう。
だから、歴史は大まかな結果だけが記されているに過ぎない。
我々もまた歴史の中に存在しており、
今、この瞬間も歴史を目撃しつつ、
生きている訳であるが、自分が傍観出来る時間が
極めて限定されている。
だからこそ、現時点から、歴史を考察するには、
概略のみの限定された過去の記録を見るしか方法は無い。
(歴史は結果の連続により構成されている)

誰でも最初は普通の人間である。
物事の結果、その評価が変化するだけに過ぎない。
良い方向にも悪い方向にも・・・。
マリー・アントワネットは、そもそも最初は
オーストリアの小娘に過ぎなかったし、
ヒトラーは、どこにでもいる画家志望の男であった・・・。
しかし、結果として、フランス革命が起き、処刑され、
浪費癖の女、悪女の代表になった。
ヒトラーに関して言えば、政治家としては優秀であると思うし、
彼の国策は実際充分に成功を治めていた様に思う。
しかし結果として、戦争に負け、
現在の様な評価を得るに至ったに過ぎないと思う。
歴史とは、この様に結果の集大成である。
そこには個人の感情などは一切排除されている。

別にマリー・アントワネットを題材としなくとも良かったかも知れない。
しかし、それではマリー・アントワネット程には
華は無いと感じたのであろう。
音楽は厳粛なクラッシックでは無く、現代を象徴するロックである。
監督は、それを使い、又映画のシーンに
(当時存在しえない)スニーカーを写し、今時の年頃の娘を
表現したかったのだろうし、それは彼女の遊び心であろう。
彼女の狙いは判るのだが、余りにも斬新な解釈過ぎて、
私は不満しか感じ得なかった。
私はやはり、ありのままの歴史が見たかった。
フランスの民衆、革命前と革命後の民衆の生活と意識。
それらはいままで殆ど映像化されておらず、貴族の暮らしぶり等よりも
私は歴史の陰に埋没したままの民衆に光を当てて欲しかった。
例を挙げれば、1993年のフランス映画「Germinal」(ゾラ原作)等の様に。
贅沢を言うならば、そんなリアリズムにあふれた、
有りのままの民衆の生活をも描いて欲しかったと思う。

*私は(他の人の様に)有名人の生活には、それほどの興味は無い。
何故ならば、私は決して有名人では無く、歴史に埋もれる存在だからである。
だから歴史に埋もれる人物に親近感が沸く。
また有名人というものは、私が特に記せずとも、私以外の誰かがきっと記すであろう。
しかし無名の人は、私の様な無名な人物にこそが記すべきだろうと考えている。
両者共いずれは永遠に歴史に埋もれようとも・・・。
(2007年5月6日古書蒐集日記主人zola記す)